「父なる神の姿」

「父なる神の姿」 ルカの福音書15章11節~24節

 今日は父の日なので、聖書から父の日にちなんだお話をさせていただきます。旧約聖書には、家族のお話がたくさん登場します。それゆえ、聖書は色々な父の姿を表しています。聖書は偉人伝ではないので、その人の良い所だけを記録しているわけではありません。人間の弱さや醜さをありのままに表現しています。それこそが、聖書の著者が神様であることの証なのです。

1、ノアとその家族

 旧約聖書の中でもノアの箱舟のお話は有名です。ノアはその当時、人の悪が増大する時代にあって、神様に正しい者として選ばれた人です。それゆえ、神は地上を洪水で滅ぼすことをノアに伝え、彼と家族を助けるために、大きな箱舟を作るように命じられました。ノアは家族8人力を合わせて巨大な船を完成させました。すると、神様のことば通り、洪水によって地上は滅ぼされてしまいましたが、ノアとその家族は箱舟に入り助けられました。その後、地の表から水が引き、ノアの家族たちは地上に降りて、新しい生活を始めました。ノアはぶどう畑を作り始めたとあります。ところがノアはぶどう酒を飲みすぎて酔っぱらって、天幕の中で裸で寝てしまいました。ノアの息子ハムは父の恥ずかしい姿を見て、他の兄弟たちを呼びました。しかし、セムとヤペテは父の裸を見ないように着物を持って後ろ向きに歩き、父の裸を見ないで、着物を父の上にかけたとあります。神に正しいと認められたノアがなんという失態でしょうか。また、聖書はなぜそんな姿のノアを紹介しているのでしょうか。最後まで、神に信頼される姿でどうして終わらせて下さらなかったのでしょうか。そこに聖書の真実性があります。ノアも一人の人間、洪水の後、気が緩んで、ぶどう酒を飲みすぎてしまったのでしょうか。この出来事は、人間の弱さと、不完全さを表したお話です。私たちも完ぺきな父ではありません。弱さを持った人間です。しかし、そんな人間を赦し、愛してくださるのが神様の姿です。

2、ダビデ王とアブシャロム

 ダビデは、イスラエルの国の二番目の王様です。元々、羊飼いの家系の生れでした。一番目の王様サウルが神様のことばに背いたために、サウル王は神様から退けられてしまいました。そして、次の王として選ばれたのがダビデです。少年ダビデが大男戦士ゴリヤテを石投げで倒したお話は有名です。イスラエルの民にとってダビデ王は偉大な王として尊敬されている王様です。しかし、ダビデはバテ・シェバという女性と姦淫の罪を犯し、また、彼女の夫を戦場の激戦地に送り、殺害するという悪を行ってしまいました。しかし、ダビデは預言者ナタンのことばに、自分の罪をみとめ悔い改めました。その時生まれた子供は病気で亡くなりました。しかし、悔い改めて、バテ・シェバを妻に迎えたダビデに、神様はもう一人の子を与えられました。それがソロモンです。ダビデはソロモンを愛し、彼を自分の後継者に指名したのです。

 ダビデの長男アムノンは腹違いの妹タマルを愛して、彼女を犯してしまいました。しかし、ダビデはアムノンのいのちを惜しんで、正しい裁きを行いませんでした。その後、タマルの兄アブシャロムは、タマルを憎み、彼を殺して外国へと逃れて行きました。しばらくして、ダビデの将軍ヨアブは、ダビデとアブシャロムを和解させようと、ダビデ王の許可を得て、アブシャロムを呼び寄せました。しかし、ダビデも、アブシャロムも相手を赦すことができず、和解することができませんでした。アブシャロムは父ダビデがイスラエルの王としてふさわしくないと判断し、ダビデを殺し自分が王になろうとしました。それを知ったダビデは荒野へと身を隠しました。その後、アブシャロム軍とダビデの軍との戦が始まりました。しかし、この戦いはダビデにとって辛い戦でした。ダビデは何とかアブシャロムの命だけは助けるように部下に命令しますが、結局、アブシャロムは殺され、ダビデ軍が勝利しました。ダビデはアブシャロムが殺された悲しみを抑えきれずに泣き悲しみました。しかし、その姿は、ダビデのために戦った部下たちを悲しませる結果となってしまいました。ダビデは悲しみを抑え、将軍ヨアブの意見に従い、自分のために戦った部下たちにねぎらいの言葉をかけたのです。将軍ヨアブがアブシャロムと和解させようとした時、ダビデが自分の罪を認め、アブシャロムを赦していたら、このような悲しい戦を回避することができたのではないでしょうか。人を赦すということの難しさを教える出来事でした。

3、放蕩息子と父(ルカの福音書15章11節~32節)

 イエス様はたとえを通して、多くの群衆に語りかけました。また、群衆は喜んでイエス様の話に耳を傾けました。イエス様のたとえ話で、有名なたとえ話に「放蕩息子」のお話があります。このたとえ話は、父と子の関係を通して、神様の姿を表したたとえ話です。

(1)子の意見を尊重する父の姿

 弟息子は、父親に家を出ることを申し出、また、そのために父が亡くなった後に受け取る財産を、父が生存しているうちに受け取りたいと申し出ました。父が生きている間に遺産を求めることは、生きている父に失礼な申し出ですが、父は弟息子の申し出でを受け入れ、彼に遺産を分けてやりました。弟息子は、財産を受け取ると、遠い国へと旅立ちました。

(2)子の帰りを待ち望む父の姿

 弟息子は財産を湯水のごとく使い果たして、食べるにも困ってしまいました。そこで、彼は父の家での幸いな暮らしを思い出し、家に帰る決心をしました。しかし、彼が家に帰りつく前に父が弟息子を見つけて、走り寄って抱きしめたとあります。この姿は、明らかに父が息子の帰りを待っていたことを表しています。そして、その姿は決して、息子を責める姿ではありません。自分から家を出ることを申し出、財産さえ失ってぼろぼろになって帰って来た息子。本来なら、しかる、説教をする、追い返すなど考えられますが、この父親は、息子が無事な姿で帰って来たのを喜び、彼のために宴会を催したのです。後に、兄が、この事を聞いて怒り家にも入らなかったとありますが、当然の姿と思われます。それほど、この父の姿は、信じられない姿なのです。しかし、イエス・キリストは、神様の姿をこの父親のような方ですと人々に紹介したのです。

 一般に、日本では、神様は罰を与える怖い神様の姿が伝えられています。しかし、イエス様が伝える神様は「赦す神」を表しています。イエス様が捕らえられ、裁判を見ていたペテロは、近くの人に「あなたもイエスの弟子ではないか」と言われて、ペテロは「そんな人は知らない。」と自分がイエスの弟子であることを否定しました。しかも、三度も。ペテロは泣いてその場を出て行ったとあります。しかし、イエス様は死より三日目に復活され、ペテロの前に姿を現されました。そして、イエス様はペテロに「あなたはわたしを愛しますか。」と三度、尋ねられたとあります。本来なら、自分を裏切った弟子ですから、ペテロを責めたり、しかってもおかしくない状況です。しかし、イエス様はペテロを赦し、「わたしの羊を養いなさい。」と言って、ペテロを赦したのです。私たちも先ほどの放蕩息子と同じです。しかし、父なる神様は、私たちを赦し、私たちを愛する息子として受け入れてくださる神様なのです。