救い主の誕生とイエスの再臨を待ち望む信仰

マラキ書4章1節~6節

旧約聖書最後の書、マラキ書4章において、5節6節「見よ。わたしは、主の大いなる恐るべき日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。」とあります。旧約聖書と新約聖書の間には約400年の空白の時代があります。それを専門的には中間時代と呼びます。ユダヤ人はこのマラキの預言のことばを信じて、救い主とその前に遣わされるエリヤのような預言者を待ち望みました。

新約聖書の時代に入って、イエスの弟子たちがイエスの生涯を書き上げました。それが福音書と呼ばれるものです。その中で、マタイとルカは、イエスの誕生と共にバプテスマのヨハネの誕生を記しています。また、福音書を書いた四人(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)とも、バプテスマのヨハネがマラキ書で預言されたエリヤのような預言者で、主の前に道を整える者であることを証言しています。

バプテスマのヨハネの働きは、ユダヤ人に罪を認めさせ、悔い改めバプテスマ(洗礼)を受けるように教えることでした。この時代、祭司や律法学者パリサイ人たち、ユダヤ教の指導者たちは、自分たちはアブラハムの子孫だから罪はないと教えていました。(選民思想)また、ユダヤ教にも洗礼という儀式はありましたが、それは、異邦人(外国人)がユダヤ教に改宗する時に、それまでの罪を清めるために行われる儀式で、ユダヤ人は受ける必要がないと教えていました。しかし、バプテスマのヨハネは、ユダヤ人にも罪がある事を指摘し、罪を認めて悔い改め、洗礼を受けるように教えたのです。イエス・キリストも30歳で宣教を始められた時、マタイの福音書4章17節「この時からイエスは宣教を開始し、『悔い改めなさい。天の御国が近づいたから』と言われた。」とあります。バプテスマのヨハネは、ユダヤ人に罪を悔い改め洗礼を受けさせることによって、救い主の前に道を整える働きをなしたのです。

ユダヤ人が求めた救い主(メシア)は、ユダヤの国を独立させ、ダビデ、ソロモンの時代のように国を栄えさせる王でした。マラキの時代から約400年の空白の時代、世界の支配権はペルシャ、ギリシャ、ローマへと移って行きました。新約聖書の時代、ユダヤはローマ帝国によって国が占領されてしまいました。彼らが求めた救い主(メシア)はユダヤからローマの軍隊を追い出し、ダビデ、ソロモンの時代のような国を築く人でした。

しかし、神が地上に遣わされた救い主は、彼らが求めたような救い主ではありませんでした。ユダヤ人たちはイエスを王に祭り上げようとしましたが、イエスは彼らから距離を置き、貧しい者や病に苦しむ者の友となられました。マタイの福音書21章で、イエスは弟子たちとエルサレムに入る時、ロバに乗って入城されました。群衆はイエスを迎える時、マタイの福音書21章9節「群衆は、イエスの前を行く者たちも後に続く者たちも、こう言って叫んだ。『ホサナ、ダビデの子に。祝福あれ、主の御名によって来られる方に。ホサナ、いと高き所に。』」と叫びました。「ホサナ」とは。「お救いください」という意味です。しかし、後に、イエスが彼らが求める活動をしないのを見て、人々はイエスから離れてしまいました。それを見た、祭司たちはイエスを捕らえ、十字架に付けて殺してしまったのです。イザヤは、イエスが生まれる約700年も前に、イザヤ書の53章に「苦難のしもべ」の姿を預言しました。神が遣わされた救い主は、ユダヤ人が願う国の独立と繁栄をもたらす者ではなく、私たちの罪の問題を解決する救い主でした。イエス・キリストは神の子ゆえに死より三日目に復活され、弟子たちにその姿を示して天の父の許に昇って行かれました。

ユダヤ人たちは、今も自分たちの望む救い主(メシア)を待ち望んでいます。それでは、私たちクリスチャンは何を待ち望んでいるのでしょうか。それは、「イエスの再臨」です。イエスが死から復活された後、弟子たちにその姿を現された時、弟子たちはイエスに尋ねました。使徒の働き1章6節「主よ。イスラエルのために国を再興してくださるのは、この時なのですか。」イエスは彼らに言われました。7節8節「いつとか、どんな時とかいうことは、あなたがたの知るところではありません。それは、父がご自分の権威をもって定めておられることです。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」イエスの関心がエルサレムの国の再興ではなく、神のことばが宣べ伝えられる宣教であることがわかります。この後、イエスは天に昇られましたが、それを見ていた弟子たちに白い衣を着た二人の人が彼らに言いました。11節「ガリラヤの人たち、どうして天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになります。」イエスの再臨については、旧約聖書のダニエル書、新約聖書のヨハネの黙示録に記されています。もし、私たちがこの地上での平和や繁栄を待ち望んでいるとしたら、それは、神の計画と違うものを待ち望んでいることになります。私たちが待ち望んでいるのは神の国です。世の終わりがあり、この地上が滅ぼされることを避けることはできません。どのように世の終わりが来るのかをイエスは、マタイの福音書24章で弟子たちに教えています。それは、戦争や戦争のうわさがあり、マタイの福音書24章7節「民族は民族に、国は国に敵対して立ちあがり、あちこちで飢饉と地震が起こります。」また、偽預言者が現われ、不法がはびこるともあります。29節「そうした苦難の日々の後、ただちに太陽は暗くなり、月は光を放たなくなり、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされます。」30節「そのとき、人の子のしるしが天に現れます。そのとき、地のすべての部族は胸をたたいて悲しみ、人の子が天の雲のうちに、偉大な力と栄光とともに来るのを見るのです。」31節「人の子は大きなラッパの響きとともに御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで四方から、人の子が選んだ者たちを集めます。」また、イエスは弟子たちに目を覚ましていなさいと言われました。神の救いの計画は、アダムとエバが罪を犯した時から、すでに始められています。神は長い年月をかけて、救い主の誕生を準備され、それを実行されました。また、私たちはイエスを神の子と信じる信仰によって救われ、天の御国に住まう者とされました。イエスの再臨がいつ行われるのか誰も知ることはできません。ただ、私たちはその事を信じて祈りつつ待つだけです。また、神は弱い私たちを助けるために聖霊を与えてくださいました。これからも神に信頼してその時を待ち望みたいと思います。