ヨシュア記14書6節~14節
今日でヨシュア記を終わります。ヨシュア記で重要な出来事は、ヨルダン川の渇いた地を渡ったことと、エリコの城壁が崩れた出来事です。また、ヨシュア記で重要な人物は、ヨシュアとラハブとカレブの三人です。今日はカレブの信仰について学びます。
1、カレブの人物と信仰(民数記13章14章)
カレブとはどのような人物でしょうか。民数記の13章において、イスラエルの民がカナンの地に近づいた時、神はモーセを通して、12部族の族長たちを集め、カナンの地に偵察に行くように命じました。その12人の中に、ユダ部族からエフネの子カレブが選ばれたことが書かれています。12名は、四十日間かけて、カナンの地を偵察してイスラエルの民のもとに帰って来ました。そして、彼らは、モーセと会衆に対してこのように報告しました。
民数記13章27節~29節「私たちは、あなたがお遣わしになった地に行きました。そこは確かに乳と蜜が流れています。そして、これがその果物です。ただ、その地に住む民は力が強く、その町々は城壁があって大きく、そのうえ、そこでアナクの子孫を見ました。アマレク人がネゲブの地方に住んでいて、ヒッタイト人、エブス人、アモリ人が山地に、カナン人が海岸とヨルダンの川岸に住んでいます。」12名が偵察した地は、果物や作物が豊かに育つ、豊かな土地でした。しかし、その地にはすでに、アナクの子孫やアマレク人ヒッタイト人エブス人アモリ人など体格の大きな民族が住んでいました。また、その町々は高い城壁に囲まれた町で、私たちの力では、滅ぼすことはできないだろうと言う報告でした。その報告を聞いたカレブは、立ち上がって叫びました。30節「私たちはぜひとも上って行って、そこを占領しましょう。必ず打ち勝つことができます。」しかし、カレブと一緒に偵察に行った者たちは言いました。31節「あの民のところには攻め上れない。あの民は私たちより強い。」民数記14章1節「会衆は大声をあげて叫び、民はその夜、泣き明かした。」とあります。会衆は偵察隊の報告に絶望し、エジプトに引き返そうと言い出しました。カレブのことばも、彼らに力になりませんでした。そこで、今度は、ヨシュアとカレブが群衆に訴えました。7節~9節「私たちが巡り歩いて偵察した地は、すばらしく、良い地だった。もし主が私たちを喜んでおられるのなら、あの地に導き入れ、それを私たちに下さる。あの地は乳と蜜が流れる地だ。ただ、主に背いてはならない。その地の人々を恐れてはならない。彼らは私たちの餌食となる。彼らの守りは、すでに彼らから取り去られている。主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」しかし、彼らはそのことばを聞いて、二人を石で打ち殺そうとしたとあります。信仰によって歩むとは、ただ、何も考えないで神のことばに従うと言うことではありません。モーセは、カナンの地を征服する前に、カナンの地を偵察させました。相手を知る事、状況を見ることは必要なことです。しかし、ここで大切なことは、状況を見て判断するのではなく、ヨシュアとカレブのように、その背後におられる主の御手を見ることが大切です。ヨシュアとカレブは「主が私たちと共におられる」ことを信じていました。それこそが、私たちが見習うべき信仰です。私たちも、現状や状況を見て恐れを持つことがあります。しかし、神は、聖書の約束のことばを通して私たちと共におられると約束してくださいました。私たちはこの目で、神の姿は見ることはできませんが、神の約束のことばを信じる者。神が共におられることを信じる者です。このイスラエルの民の不信仰によって、彼らは神の怒りを受け、40年間、荒野をさまよい歩くことになりました。そして、神は、ヨシュアとカレブ以外の大人たちはカナンの地に入ることができないと言われたのです。また、神はこの40年の間に、新しく生まれたイスラエルの民を訓練し再び、カナンの地に導いたのです。
2、神の約束を信じるカレブの信仰(ヨシュア記14章)
ヨシュア記14章の場面は、先の出来事から、45年後の出来事です。カレブはこの時85歳になっていました。神は約束通り、ヨシュアとカレブの二人だけを、カナンの地に入ることを許されたのです。モーセは残念ながらカナンの地に入ることができませんでした。さらに、カレブはモーセを通してなされた神の約束を忘れませんでした。ヨシュア記14章9節「あなたの足が踏む地は必ず、永久に、あなたとあなたの子孫の相続地となる。あなたが私の神、主に従い通したからである。」カレブは85歳でありながら、ヨシュアに相続地を求めなした。しかもその地は、簡単に奪える土地ではなく、以前、偵察をした時の、大きな民が支配する土地でした。カレブは45年前を思い出しながら、あの時、奪えなかった土地、アナク人がおり高い城壁で囲まれたヘブロンの地を85歳にしてヨシュアに求めたのです。
私は今年62歳になります。23年後には私も85歳になります。はたして、私が85歳になった時、新しく教会を開拓しなさいと言われた時に、すぐに「はい」と言って従えるかどうか不安に思います。85歳になれば、力も体力も気力も衰えるでしょう。しかし、カレブはそれでも、ヘブロンの地を求めたのです。それは、彼が45年前と同じ信仰を持っていたからではないでしょうか。40歳の時、カレブは、神が共におられるので、前に進むべきだと進言しました。しかし、それは、他の人々の不信仰のゆえに、実現することはできませんでした。しかし、彼の信仰は、45年たっても変わりませんでした。85歳であっても神が共におられるなら同じことです。カレブは、初めから自分の力に自信があったわけではありません。彼にあったのは神への信頼でした。信仰には年齢は関係ありません。私たちの力は弱くなっても神の力に変化があるわけではありません。神を信頼するカレブに自分の力、年齢は全く関係がなかったのです。
また、私たちはこの世の者ではありません。神は私たちに天の御国を約束してくださいました。世の終わりはいつ来るかわかりません。しかし、神は必ず世の終わりが来て、天の御国が現れると約束してくださいました。また、私たちが亡くなった後も、肉体は滅んでも、魂は神のもとに引き上げられると約束されています。神は、約束したことを必ず守られるお方です。神は75歳のアブラハムにあなたを祝福し、あなたを大いなる国民とし、あなたを祝福すると約束してくださいました。75歳で子どものいないアブラハムに「大いなる国民とする」と言われたのです。その25年後、アブラハム100歳、サラ90歳にしてイサクが生まれました。神にとって不可能がないことが証明されたのです。神は時間に支配されないお方です。それゆえ、私たちは神の時を待つために忍耐が必要です。イエスはもう一度、戻って来るという約束を残して天に昇って行かれました。イエスが再び再臨されるとき、それは、世の終わりであり、天の御国が現れる時です。私たちはその時を待ち望む者です。また、イエスは、天の御国に、私たちの住まいを備えに行くと弟子たちに言われました。確かに、神は、私たちの住まいを天の御国に備えてくださるお方です。私たちは、カレブのように神の約束を信じ、神の時を待ち望みましょう。