「失敗から立ち直ったマルコ」

「失敗から立ち直ったマルコ」 使徒の働き15章35節~41節

 新約聖書の中で、福音書と呼ばれるのが、マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書、ヨハネの福音書の四つです。共に、イエス様の生涯が記録された聖書の個所です。またその内、共観福音書と呼ばれるのが、マタイの福音、マルコの福音書、ルカの福音書の三つです。三つの福音書は、イエス様の誕生から十字架の死、復活までの流れが大体同じように記されているので、このように呼ばれます。ヨハネの福音書は、使徒ヨハネが晩年になって、イエス様のことばや行動を後になって深く黙想して書かれた福音書です。それゆえ、先の共観福音書とは区別して呼ばれるようになりました。共観福音書の中で、一番先に書かれたのが、マルコの夜福音書です。次に、マタイの福音書、ルカの福音書の順に書かれたと言われています。マタイは12使徒の一人、元取税人のマタイが、ユダヤ人の救いのために書いたと言われています。それゆえ、ユダヤ教の習慣や旧約聖書の引用が多く見られます。ルカは異邦人で、パウロが第二回伝道旅行の時に出会い、その後、パウロの協力者として伝道旅行に同行しました。ルカは、医者であり、パウロの伝道旅行に大いに役に立った人物でした。また、ルカは、イエス様とは出会いはありませんでしたが、彼は、現地に赴き、イエス様の誕生から十字架の死と復活について調査し、多くの人の証言や資料を集めてルカの福音書を書き上げたと言われています。また、ルカの福音書は、ローマ政府の高官テオピロのために書かれました。それゆえ、ユダヤ人ではない私たちには、ルカの福音書が一番理解しやすいかもしれません。

 マルコの福音書を書いたマルコとは、どのような人物でしょうか。マルコはヘブル名では、ヨハネ(主は恵み深いの意味)で呼ばれています。マルコの母マリヤは、大きな家に住むお金持ちでした。父についての言及がないので、マルコが幼い時に父は亡くなっていたものと思われます。マルコは、裕福な家庭で、母マリヤによって育てられました。また、家がエルサレムの市内にあり、大きかったゆえに、イエス様や弟子たちが滞在し、マルコはイエス様や弟子たちと親しい関係であったと考えられます。マルコを信仰に導いたのはペテロだと言われています。また、使徒の働きに登場するバルナバとはいとこの関係にありました。マルコの福音書14書51節52節で「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた。」とあります。この裸で逃げた青年がマルコであり、マルコは自分のことを書いたと言われています。

 次に、マルコが登場するのが使徒の働き13章です。この時マルコは、バルナバと共にアンテオケ教会で奉仕していたものと思われます。その後、神様はパウロとバルナバを聖別して異邦人伝道へと向かわせました。この時、ヨハネ(マルコ)も助手として同行しました。ところが、キプロスからさらに船で奥地に行こうとした時、マルコは一行から離れて、一人でエルサレムに帰ってしまいました。その原因は聖書には書かれていないので正確にはわかりませんが、先ほど紹介したように、マルコは裕福な家庭で母一人に育てられました。そのため、パウロとバルナバに付いて行くことに困難(恐れ)を覚え、一人で、エルサレムの母の家に帰ったものと考えられます。

 始めにお読みした聖書の個所、使徒の働き15章35節からの個所は、パウロがバルナバを誘って第二回の伝道旅行に出かける時でした。この時、バルナバはマルコを同行することをパウロに提案しました。バルナバはいとこであるマルコにもう一度チャンスを与えたかったのでしょう。しかし、パウロはその意見に強く反対しました。使徒の働き15章38節「しかし、パウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。」とあります。二人は激しく言い争い、結局、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡り、パウロはシラスを選んで、別々に行動することになりました。この後、聖書はパウロの働きだけを記しています。

 その後、10年間マルコに関する記録はでてきません。ただ、パウロが書いた手紙の中に、マルコの姿を見ることができます。ピレモンへの手紙24節「私の動労者たちであるマルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくと言っています。」獄中のパウロに近くにマルコがいたことがわかります。また、コロサイ人への手紙4章10節「私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです。」テモテへの第二の手紙4章では11節「ルカだけは私とともにおります。マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の努めのために役に立つからです。」とあります。一度は、マルコと一緒に働くことを拒んだパウロでしたが、後に、パウロもマルコを認め、彼が役に立つ人物に成長したことを認めました。この10年間に何があったのでしょうか。聖書には記されていませんが、バルナバと共に働くことによって、マルコが成長したのではないかと思われます。また、マルコはペテロの通訳者としても働き、その中から、イエス様の生涯、マルコの福音書を書き上げたと伝えられています。一度失敗しても見捨てなかったバルナバの信仰と愛。バルナバ(慰めの子)の愛と励ましによって、マルコは失敗から立ち直り、パウロにとっても神様にとっても良い働き人となることができました。私たちも、バルナバのような人になりたいと思います。また、神様は失敗した者を捨て去ることなく、立ち直らせてくださるお方であることを覚えます。ペテロもそうでした。旧約聖書では、アブラハムもダビデも失敗しましたが、彼らが悔い改め、神様に立ち返った時、神様は喜んで二人を受け入れてくださいました。神様は、今も同じように私たちにやさしく接いてくださいます。失敗しない人生はありません。失敗しても、もう一度やり直すチャンスはいくらでもあります。大切なことは、あきらめないことと、自分に失望しないことです。神様はいつも、私たちと共にいてくださいます。