申命記34章1節~7節 召天者記念礼拝
私たちが偶然に生まれた者ではなく、神の愛と計画によって誕生したならば、私たち一人一人には神の使命が与えられています。モーセに与えられた神の使命は、イスラエルの民をエジプトから助け出し、神がアブラハムに約束した地に導くことでした。モーセに与えられた使命はどれ程大きな使命でしょう。私たちであれば、誰も耐えることは出来なかったでしょう。神はモーセを導くために、いくつかの準備を行いました。一つは、彼がへブル人として生まれたこと。また、もう一つは、エジプトの王宮で育てられたことです。
1、捨てられたモーセ
モーセが誕生した時代、それは、エジプト人が激しくへブル人を迫害する時代でした。エジプトの王ファラオは、へブル人がエジプトで増え広がることを怖れ彼らを迫害しました。しかも、男の子が生まれたらナイル川に投げ込まなければならないという激しいものでした。モーセが生まれた時、モーセの両親は何とかモーセを助けようと隠れてモーセを育てますが、それも限界となり、モーセを助けるために、モーセをかごに入れてナイルの川岸に置くことを決意しました。それ以外にモーセの命を救う方法がなかったからです。モーセの姉ミリアムはモーセのことを心配してモーセの入ったかごを見守っていました。すると、エジプトの王の娘が水浴びのためにナイル川にやって来ました。彼女はかごに入ったモーセを見つけ、自分の子として育てることを決心したのです。しかも、モーセの姉ミリアムによってモーセの母が呼ばれ、乳母として育てることが許されたのです。モーセがいくつまでモーセの家族と共に生活したかはわかりませんが、この時、モーセは自分がへブル人であることを自覚したものと思います。その後、モーセは40歳までエジプトの王の娘の子として王宮育てられました。これにより、モーセは当時最高の教育を受けることが出来ました。後にモーセが創世記を書きましたが、その資料の一部はエジプトの王宮で得たものと考えられます。
後に80歳になったモーセは、エジプトの王ファラオとへブル人をエジプトから出すように交渉します。この時、モーセがエジプトの王ファラオと直接、交渉が出来たのは、モーセが王宮で過ごしたがゆえです。モーセはこの時、年老いた羊飼いでしかありません。もし、モーセがエジプトの王宮で生活していなければ、エジプトの王ファラオと会う事さえできなかったでしょう。この事を考えても、神の計画の確かさを覚えさせられます。
2、羊飼いの生活
モーセが40歳になった時、彼はへブル人の苦しみを見て彼らを助けたいと思いました。しかし、まだ神の時ではありませんでした。彼は自分の力でへブル人を助けようとしましたが失敗し、荒野へと身を隠しました。モーセは40年間羊飼いとして生活しました。その事も神の計画でした。この後、へブル人をエジプトから助け出したモーセは、男性だけで60万人、女性子供を含めると100万人以上の人々を導き、荒野を旅しなければなりませんでした。そのためには、モーセが荒野での生活に精通していなければ、イスラエルの民は飢え死にしていたことでしょう。神はそのために、モーセを羊飼いとして荒野で40年も養ったのです。
また、若い時のモーセは力と権力を持っていました。しかし、それは神の働きをする時は邪魔になります。なぜなら、人は自分に力がある時、神に頼らないで、自分の力、知恵に頼ってしまうからです。モーセが荒野で40年間羊飼いとして働くことによって、彼は年を取り、若い時に比べ体力は衰えました。また、エジプトを出ることによって、エジプトの王の娘の子という特権も失ってしまいました。モーセはただの年老いた羊飼いとなったのです。しかし、その時が神の時でした。神は80歳のモーセを呼び出し、イスラエルの民をエジプトから助け出すように命じたのです。この時、モーセが頼るのは神様だけとなっていたのです。
3、荒野での40年
荒野での40年はモーセにとってもイスラエルの民にとっても苦しみの時でした。イスラエルの民は食べ物の事、飲み水のことでモーセに不平を述べました。その都度、モーセは神に祈りました。神はモーセの祈りに応え、毎日マナという特別な食べ物を与えました。また、時には石から水を出すという奇蹟も行いました。確かに荒野での40年は彼らにとって大変な時でした。しかし、彼らは荒野での経験を通して、神が共におられ、神に養われていることを学んだのです。申命記はモーセの遺言の書といわれます。その内容は、荒野での40年の出来事と、神の恵みを思い出させる教訓の書でもあります。モーセはこの後、天に召されます。その前に、もう一度、神とイスラエルの民に結ばれた契約を思い出させ、神に留まるように戒めたのです。申命記34章7節「モーセが死んだときは百二十歳であったが、彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」とあります。しかし、モーセはカナンの地に入ることが出来ませんでした。彼の使命はイスラエルの民をカナンの地に導くことでした。モーセはこの命令に忠実の仕え、神の命令を成し遂げたのです。この後、モーセは天に召され、神の許で安らかに暮らしている事でしょう。
先に天に召された方々の人生もモーセと同じではなかったでしょうか。苦しみや悲しみもあったでしょうが、モーセと同じように彼らと共に神はおられました。今は、その使命を終えて、天で安らいでいることを覚えます。私たちの人生も同じです。苦しみや悲しみもあるでしょう。しかし、私たちとも神はおられます。また、私たちの住まいも天において備えられ、天においてもう一度、愛する家族と出会うことが出来ます。これが、地上に残された私たちの希望なのです。