一番大切な宝物

「一番大切な宝物」マタイの福音書13章44節~49節

聖書を読んでも、天の御国がどんなに素晴らしい世界かということは、具体的には表現されていません。それは、人間の言葉では表現できない素晴らしい世界だからだと思います。今日の聖書の個所で、イエス様は天の御国がどんなに素晴らしい所なのか、三つのたとえを通して説明されました。

1.畑に隠された宝。

当時の商人たちは、町から町へと品物を持って旅を続けますが、売上金の全額持って旅を続けることはありませんでした。それは、途中で盗賊に襲われ、全額を失う可能性があったからです。また、今のように、どの町にも銀行があるわけでもありません。それゆえ、商人たちは、安全のために、畑や山にお金を隠しながら、旅をつづけ、最後に、売上金を回収しながら、家に帰ったそうです。

このたとえ話で、大切な所は、この宝を見つけた人が、宝だけを持ち帰らないで、自分の持ち物全部を売り払って畑ごと買うということです。ユダヤの法律では、畑にある物は、すべて、畑の所有者のものになります。見つけた宝だけを持ち帰れば、宝を盗んだことになりますが、畑の所有者が宝を見つけたら、自分の私有地の物は自分の物です。それゆえ、この人は、合法的に宝を自分の物とするために、全財産を用いて、畑を買い取り、宝の物を自分の物にしたということです。イエス様がここで、私たちに伝えようとしていることは、天の御国とは、自分の持ち物全部を売ってさえ、買う価値のある高価な宝のようなものであるということです。

2.良い真珠を求める商人。

二つ目のたとえ話は、良い真珠を探している商人の話です。真珠の商人は、良い真珠を探して旅を続けます。当時、ペルシャ湾やアラビヤ海の沿岸で取れる真珠が最も美しいと言われていました。遠くから評判を聞きつけてやって来て、店を回り、最高の真珠を求めます。このたとえ話では、すばらしい真珠を一つ見つけたら、持ち物全部を売り払ってそれを買います。先ほどのたとえ話と共通するところは、自分の持ち物全部を売って、畑、または、良い真珠を買う点です。イエス様はこの二つのたとえ話を通して、天の御国とは、私たちの持ち物全部を売り払ても、買い取る価値のある所であると教えておられるのです。

3.地引網のたとえ。

このたとえ話は、最後の審判の厳しさを表しています。網がいっぱいになると、岸に引き上げられ、良い物は器に入れ、悪い物は捨てられるとあります。この世の終わりも、御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、悪い者は火の燃える炉の中に投げ込まれるとあります。別の聖書の個所では、羊と山羊がより分けられるように、終わりの時、罪ある者と罪赦された者に私たちは分けられ、罪赦された者は天の御国に迎え入れられ、罪ある者は自分の犯した罪のゆえに、消えない火で永遠に苦しみを受けるとあります。

マタイの福音書16章26節でイエス様は、「人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。」と言われました。ここでイエス様が言われた「いのち」とは永遠のいのちのことです。私たちは、いつか、この地上での生活に終わりを迎えます。世の終わりの時、すべては神様の御前に立たされ、自分の行った全ての罪について、裁きを受けなければなりません。しかし、イエス・キリストを救い主と信じる者の罪は、あのイエス様の十字架の死により赦されています。それゆえ、私たちクリスチャンは、罪赦された者として天の御国に迎えられます。しかし、罪ある者は自らの罪によって、神の裁きを受けます。

永遠のいのち、天の御国は、自分の努力や財産で得ることができるものではありません。天国の御国をその価値であらわすなら、それは、神の子のいのちと、等しい価値があるということです。私たちはどんなに努力しても、また、お金を払ってもこの永遠のいのちを得ることはできません。それゆえ、神の子のイエス様が自ら人となり、十字架に付いて死んでくださったのです。つまり、永遠のいのちは、神の子のいのちと同等の価値があるということです。

イエス様が人として誕生され、救い主としての働きをはじめた頃、人々は、イエス様にローマの兵隊を追い出し、ユダヤの国をもう一度、独立させすることを求めました。当時の彼らにとっての一番の問題は、ローマ政府に支配されていることでした。このローマの支配から抜け出ることが、彼らの自由であり、一番の幸いでした。しかし、神様が遣わされた救い主は、人間の罪の問題を解決するために十字架で自らのいのちを犠牲にする救い主でした。それゆえ、彼らは救い主イエス様を受け入れることができませんでした。聖書の勉強をしている時、ある求道者がいいました。「これから先、いつ来るかわからない天国より、今、私はこの世界で幸せになりたいんです。」その方は、ある問題のために教会に助けを求めてこられていましたが、途中で教会に来なくなりました。確かに、この地上で、今、問題が解決し、幸せになることが一番必要かもしれません。しかし、神様が私たちに一番大切な物として与えてくださるものは、永遠のいのちです。このいのちは、この地上の全ての財産を集めたとしても得ることのできない、高価な宝物です。イエス様のたとえ話で、高価な宝物を発見した人、良い真珠を見つけた人は、自分の財産を売り払って、その高価なものを買い、自分の物としました。私たちにとって一番大切な物とは何でしょうか。目に見える物に騙されてはいけません。本当に高価なものは目に見えない永遠に存在するものです。