失敗を通して謙遜を学んだモーセ

出エジプト記2章11節~15節

今日は、モーセの生涯を通して謙遜について学びます。若いころ「十戒」という映画を見たことがあります。出エジプト記の出来事を題材視した映画で、モーセの役をチャールストン・ヘストンいう有名な俳優が演じていました。その姿は格好よく、力強い指導者のイメージで描かれていました。映像の影響力は強く、長い間、聖書を読むたびに、そのイメージで出エジプト記を読んでいました。しかし、聖書をよく読むと、実はそうではないことが分かります。民数記12章3節「さて、モーセという人は、地上のだれにもまさって非常に謙遜だった。」とあります。モーセは初めから謙遜な人だったのでしょうか。出エジプト記を通して、モーセがどのようにして謙遜な人に成れたのかを学びます。

1、背景(出エジプト記1章)

先週、ヨセフと兄弟たちの和解のお話をしました。神様の約束は、アブラハムの子孫にカナンの地を与えることでした。そのためには、兄弟たちの和解が不可欠です。もし、ヨセフと兄弟たちの和解がなければ、十二部族も誕生せず、イスラエルの民がエジプトで増え広がり一つの民族として成り立つこともできませんでした。そういう意味で、ヨセフが兄弟たちに売られて、エジプトで総理大臣の地位に出世することは、初めから神様の計画だったのです。この時、ヤコブの家族がエジプトに移住した人数が70人であったとあります。ヤコブの家族がいつエジプトに移住したのか、いつヨセフが死んだのかはわかりませんが、出エジプト記の時代はそれから数百年たち、ヨセフのことを知らないエジプトの王が誕生した時代に移りました。この時代、イスラエルの民が増え広がり、エジプトの王を恐れさせるほどになっていました。ここで「イスラエル人」と「へブル人」と二つの言葉が使われています。「イスラエル」とは、ヤコブがヤボクの川岸で神にしがみついた時に神に与えられた名で、その意味を「神と、また人と戦って、勝ったからだ。」と神は言われました。「へブル人」とは、渡って来た者と言う意味で、主に、エジプト人が外国人に対して使っていた言葉だと言われています。そこには、よそ者という差別的な意味があったものと考えられます。

エジプトの王は、へブル人の人口を抑えるために、初め、重い労役で苦しめました。しかし、それでもへブル人の人口増大を抑えることができませんでした。そこで、エジプトの王は、男の子が生まれたら、ナイル川に投げ込まなければならないと命令を出したのです。そんな時代にモーセは生まれました。モーセの両親は、何とかモーセを助けようとしました。しかし、隠しきれなくなって、モーセを籠に入れ、誰かに拾ってもらうことを期待して、ナイル川の葦の茂みの中に置きました。神はモーセを救うために、エジプトの王の娘を用いられました。彼女はモーセの入った籠を見つけ、この子がへブル人の子であることを知った上で、自分の養子として育てることを決心したのです。その光景を見ていたモーセの姉は、モーセの母を連れて来て、エジプトの王の娘にモーセの乳母として推薦しました。モーセは、大きくなるまで、へブル人として家族と共に成長することができたのです。

2、エジプトの王の娘の子として育てられるモーセ(出エジプト記2章)

モーセがいくつの頃から、エジプトの王宮で暮らすようになったのかはわかりませんが、モーセは将来エジプトの国で役に立つ人物となるように、当時の最高の教育を受けたものと考えられます。この時、学んだことが、後に、男性だけで60万人と言われる、人々を荒野で導くための役に立ちました。モーセはへブル人であることを隠して、王宮で暮らしました。しかし、へブル人の苦しむ姿を見て、彼自身も苦しんでいました。モーセは何とかへブル人をこの苦しみから助けたいと思っていました。しかし、まだ、神の時ではありませんでした。モーセは、ある時エジプト人と争っているへブル人を助けるために、エジプト人を殺してしまうと言う事件を起こしてしまいました。また。それが王にばれるのを恐れ、モーセは荒野へと身を隠すためエジプトを逃れたのです。

3、荒野での羊飼いとしての生活(出エジプト3章)

モーセは、羊飼いとして荒野で40年暮らしました。神は、80歳のモーセに現れ、イスラエルの民をエジプトから助け出し、アブラハムに約束した地に導くように命じられました。モーセは何と答えたでしょうか。出エジプト記3章11節「私は、いったい何者なのでしょう。ファラオのもとに行き、イスラエルの子らをエジプトから導き出さなければならないとは。」40年前の、エジプトの王の娘の子という立場ならともかく、今は、ただの年老いた羊飼いでしかありません。そんな者に何ができるでしょうかという気持ちがあったでしょう。神はモーセに言いました。12節「わたしが、あなたとともにいる。これが、あなたのためのしるしである。」何と力強い約束の言葉でしょう。しかし、この時のモーセは、それでも神の命令に従うことができませんでした。彼は、自分は言葉の人ではなく、口が重いと言って神の命令に従うことを恐れました。そんな彼に、神は、彼の兄、アロンを助け手とし与えることを約束してくださり、モーセはやっと、神の命令に従う決心をしたのです。

モーセはエジプトに行き、エジプトの王に面会しました。この時の王は、新しい王で、モーセと共に王宮で暮らした者と考えられます。それゆえ、モーセは、ただの羊飼いでありながら、王との面識があったがゆえに、王に面会ができたのです。それも、モーセが王宮で育てられた故で、ここにも神の計画があったことを教えられます。しかし、エジプトの王はモーセのことばに耳を傾けず、へブル人をエジプトから出すことを認めませんでした。そこで、神はエジプトに対して10の災害を与えました。最後の災いは、エジプト中の初子のいのちを奪うと言う災害で、この災害でエジプトの王の息子も死んでしまいました。この悲しみのゆえに、エジプトの王は、へブル人を連れてエジプトを出ることをモーセに許可したのです。この時、男性だけで60万人(総勢百万人以上の)へブル人がエジプトを脱出したのです。

4、結論

今までの話を振り返って、40歳までのモーセは謙遜ではありませんでした。彼が謙遜を身に付けたのは、40歳を過ぎてから、荒野での羊飼いとしての40年です。王宮で王の娘の子として育てられたモーセには、若さも、力も権威も、知識も財産もありました。80歳になったモーセは、それらすべてのものを失っていました。彼は、自分に絶望し、人生に失望していました。しかし、神はその時を待っていたのです。何もなくなった彼を神は必要とされたのです。神が人を用いる時、財産や権威は必要でしょうか。かえってそのようなものは邪魔になります。パウロは肉体のとげのために苦しんでいました。その苦しみから解放してくださるように三度も神に祈ったとあります。その祈りの答えとして、神は彼に言われました。コリント人への第二の手紙12章9節「しかし、主は、『わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現わされるからである』と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」10節「ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。と言うのは、私が弱い時にこそ、私は強いからです。」私たちの人生も、モーセのように、喜びの時もあれば、苦しみや悲しみの時があります。しかし、苦しみや悲しみの時ほど、自分自身を見つめ謙遜になれる時ではないでしょうか。モーセの40歳から80歳までの荒野での生活は無駄ではありませんでした。私たちの人生も無駄な時はありません。回り道の時間やゆっくりとした歩みの時間も必要です。大切なことは、苦しみや悲しみを見つめるのではなく、苦しみの中にも神が共にいてくださるという神の約束のことばを信じることです。神は決して愛する者を捨てたり、離れたりするお方ではありません。