神の定めとしての死

召天者記念礼拝「神の定めとしての死」申命記34章1節~8節

旧約聖書の創世記5章を見ますと、最初の人アダムは930年生きて亡くなったとあります。セツも912年生きて亡くなっています。エノシュも905年生きて亡くなっています。神様が天と地を創造された時、罪も死も存在していませんでした。アダムとエバが罪を犯し、人は死に定められるようになったのです。それでも、アダムは930年も生きました。それが、創世記6章に移り、神様は人の罪のゆえに人の命を120年に定めたことが書かれています。健康で若いままで何百年と生きることは幸いかもしれませんが、年を取り寝たきりで何百年も生きることがはたして、幸いかどうかわかりません。

出エジプト記はモーセがイスラエルの民をエジプトから助け出し、荒野を通して神様がアブラハムに約束した地カナンを目指して旅立った記録の書です。創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記はモーセが書いたと言われ、聖書の中でもモーセ五書と呼ばれています。特に、最後に書かれた申命記はモーセが残されるイスラエルの民に対して書いた遺言の書と言うことができます。モーセは80歳で、イスラエルの民をエジプトの苦役から助け出しました。その後、40年モーセはイスラエルの民を荒野で導きましたが、イスラエルの民は何度もモーセに逆らい、モーセは苦労しながらイスラエルの民をカナンの地近くへと導いたのです。しかし、モーセは最後、カナンの地に入ることなく、天に召されました。私は、初め聖書を読んだ時、何故、神様はモーセをカナンの地に入れてくださらなかったのだろうか。モーセがかわいそうだと思いました。確かに、モーセは、イスラエルの民が水がないと嘆いた時、神様はモーセにこの石に命じなさいと言われましたが、モーセは怒りのために持っていた杖で石を力いっぱい叩いてしまいました。その石から水はあふれ出ましたが、神様はモーセを罪に定め、この事ゆえに、モーセはカナンの地に入ることができなかったのです。私は、ただ一度の失敗でモーセがカナンの地に入れないのは、あまりにも神様の決定が厳しすぎると感じました。しかし、この申命記34章からある先生の説教を聞いた時、決して神様はモーセの失敗のゆえに、カナンの地に入れなかったのではないことを学びました。その証拠に、神様はモーセにピスガの山の頂に登らせ、カナンの地を見せてくださいました。この時、モーセは120歳になっていました。モーセは120歳でも、「彼の目はかすまず、気力も衰えていなかった。」とあります。この個所から説教された先生が最後にこのようにお話されました。「モーセの使命は終わった。」神様は初めからモーセの責任は、イスラエルの民を荒野で40年訓練することであり、その後は、ヨシュアに引き継ぐことにあったと言われました。使命を終えたモーセを神様は喜んで受け取り、天においてモーセを休ませられたのです。確かに、私たち一人一人には、神様から与えられた使命があります。ダビデは、イスラエルの国の信仰を復興させ強固にする役目がありました。そのダビデが神様に神殿を建てたいと願いました。しかし、その願いは聞き届けられませんでした。しかし、神様はダビデの子ソロモンに神殿を建てるように命じられたのです。ダビデはその子ソロモンのために、たくさんの材木と金銀を準備しました。死は、終わりや失敗ではなく、天の御国で神様と共にやすらうために神様がそなえてくださった一つのステップです。私たちは何時か死を迎えます。その時は神様が定めた時で、その人の地上での使命、役割が終わったことを意味しています。私がこの教会に赴任した時の使命は、会堂建築でした。ロング先生ご夫妻、クラップ先生ご夫妻が小手指の地で宣教してくださいましたが、土地を買い建物を建てることができませんでした。神様は私を通して、この地に神様の宮である教会堂を建てくださり借金もすべて返済することができました。そいう意味では、この教会での私の使命は終わったように思いますが、まだ、次の使命があるようで、天に召されずにこの世に生きています。

今日は、召天者記念礼拝です。すでに天に召された方を覚えて礼拝をする日です。ひとりひとり、生きた年数は違いますが、ひとりひとり、神様によって命が与えられ、使命を担って生きてきました。今は、その使命を全うし、モーセのように、神様に迎え入れられ、天の御国で神様と共に休んでおられます。また、地上に残された家族の方々を心配しているかもしれません。まだ神様を信じておられない方々は、ぜひ神様を信じて、故人が待っておられる天の御国へのパスポートを自分の物としていただきたいと思います。パスポートとは、外国で暮らすために必ず必要な物です。天の御国も、そこで暮らすためには、神様から許可されたパスポートが必要です。このパスポートは誰でも天国で暮らしたいと願う人には神様から与えられるプレゼントです。天の御国は、罪ある者は入ることができません。それゆえ、私たちは神様から罪の赦しをいただかなければなりません。そのために、イエス・キリストは十字架の上で死んでくださいました。私たちの罪の代価がイエス様の十字架の上で支払われたことを信じる者は罪が赦され、天国に入る許可、パスポートが与えられます。いつか、私たちも死を迎えます。その時、恐れをもって、死を迎えるのではなく、神様が待っておられる天の御国に迎えられることを信じる者は幸いです。