羊飼いたちと祭司たち

「羊飼いたちと祭司たち」ルカの福音書2章8節~20節

格差社会ということばがあります。貧富の差が大きい社会のことを言いますが、貧しい国にほど貧富の差は開いていきます。裕福なものは富を独り占めし、貧しい多くの民を支配します。日本はさほど貧富の差は無いようですが、東北地方でこの格差が開いていると聞きます。震災から三年が経とうとしています。現地では、見た目は復興していますが、今でも、多くの方々が仮設住宅で生活しています。震災後、余力のある人は、いち早く家を建て直し、新しい生活を始めましたが、お年寄りや体に障がいがある人々は、未だに、仮設住宅から出ることができない状態です。そのような方々をどのように支援していくのか、それが、これからのボランティアの働きの課題です。

イエス様が誕生して、一番早くその知らせを受けたのは誰でしょうか。それは、羊飼い達でした。ルカの福音書2章で、ローマの皇帝アウグストにより、全世界に住民登録するように命令が出されました。そのとき、マリヤとヨセフはガリラヤのナザレに住んでいました。ヨセフはダビデ王の家系ですから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町で登録をしなければなりませんでした。ナザレからベツレヘムまで直線距離で約120キロあります。身重のマリヤを連れての旅は時間がかかったのではないでしょうか。また、その時期は、多くの者がダビデの町に集まっていました。そのため、彼らが泊まる宿さえありませんでした。唯一、空いていたのは家畜小屋だけでした。二人はしかたなく、家畜小屋に落ち着き、まもなく、イエス様が生まれたのです。神の子であり、救い主イエス様に居場所が無かった。そのことは、世が、救い主イエス様を受け入れなかったことを表すものでした。

ルカの福音書2章8節から羊飼いたちが登場します。彼らは、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていたとあります。羊飼いにも二通りあります。多くの羊を持ち、羊飼いを雇うお金持ちの羊飼いと、そのお金持ちに雇われた貧しい羊飼いたちです。ここに登場する羊飼いたちは、雇われた貧しい羊飼いたちで、彼らは朝から夜まで休み無く一日中、羊の面倒を見なければなりませんでした。その貧しい羊飼いたちの前に御使いが現れて、驚くべき知らせを伝えたのです。10節~12節「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」その知らせを聞いた羊飼いたちはどうしたでしょうか。15節「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見てこよう。」20節「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰っていった。」とあります。羊飼いたちは、救い主が飼葉おけで寝ておられると聞いて、すぐに、家畜小屋を想像したでしょう。救い主が、王宮や祭司の大きな家ではなく、粗末な家畜小屋で生まれた。彼らは不思議に思ったことでしょう。そこで、彼らは、御使いのことばが本当かどうか確かめに行ったのではないでしょうか。すると、そこに、御使いが言ったように、家畜小屋にマリヤとヨセフがおり、飼葉おけに寝かされているイエス様を見たのです。そこで、羊飼いたちは御使いのことをマリヤとヨセフに告げ、この幼子が、普通の子ではなく、神様に約束された救い主であることを伝えたのです。

私は、この話をはじめて聖書を通して読んだとき、不思議に思いました。なぜ、神様は救い主、神の子イエス様を祭司や王の家ではなく、貧しい大工の家に誕生させたのか。祭司や王の家であるならば、その子の誕生を国中でお祝いができ、国中に知らせることができたはずです。それが、大工の夫婦、家畜小屋で生まれたこども。誰が、救い主と信じるでしょうか。しかし、それが神様の計画でした。神様は、幼子の見た目の豊かさや華やかさによって、人々がそれを見て、救い主と信じることがないように、あえて、貧しい大工の家庭にイエス様を誕生させたのです。実は、神様が救い主の誕生を知らせたのは貧しい羊飼いたちだけではありませんでした。

マタイの福音書2章に東方の博士たちが登場します。彼らがどこからエルサレムに来たのかわかりません。可能性として、イスラエルの国はかつて、バビロニヤに支配され、その時、多くのユダヤ人がバビロニヤに捕囚として連れて行かれたという歴史があります。東方の博士たちは、実は、占い師で、星の動きで世の災害や国の動きを予見するものでした。彼らがバビロニヤから来たとすると、バビロン捕囚の時にユダヤ人から伝えられた救い主、偉大な王がユダヤで生まれることを知っていたのかもしれません。それで、彼らは不思議な星に導かれて、はるばるエルサレムまでやって来たのです。当時、ユダヤの国はヘロデ王によって支配されていました。しかし、それは、ローマ政府によって支持された王で、ユダヤの国民はヘロデ王を支持していませんでした。ヘロデはそのことを良く知っていました。それゆえ、ユダヤの国民の支持を得るために、ローマ政府によってユダヤの国が攻められた時に、焼かれて壊れたままの神殿をヘロデは自費で再建したのです。東方の博士たちの話を聞いた時、ヘロデは非常に恐れました。自分の知らない所で、ユダヤの王として生まれた幼子、将来、自分のいのちを奪うかもしれない者の誕生ですから、ヘロデとしては、何としても生かしておくわけにはいきません。そこで、ヘロデは祭司長、学者たちを集めて、キリストはどこで生まれるのかを問いただしました。すると、彼らは簡単に、「ユダヤのベツレヘムです。」と答えました。それは、旧約聖書のミカ書に救い主の誕生が預言されていたからです。当時、ヘロデ王と祭司たちは親密な関係にありました。それゆえ、祭司たちは、ヘロデ王に対して、救い主の誕生の場所を教えたのです。東方に博士たちは星に導かれ、幼子のいる所を見つけ出し、当時の宝物、黄金、乳香、没薬をマリヤとヨセフに送り、また、東方の地へと帰って行きました。

神様は、この東方の博士たちを通して救い主の誕生を祭司たちに伝えました。しかし、彼らは、その知らせを聞いても、救い主を探しに行きませんでした。ユダヤ教はローマ政府に守られ、彼らはすでに豊かな生活を送っていたのです。それゆえ、彼らにとって救い主の誕生と言う知らせは興味を引く知らせではなかったのです。救い主の知らせを受けて、救い主を探しに行ったのは、貧しい羊飼いたちと、東方の博士たちでした。当時、神様に仕える祭司たちは、救い主の誕生を歓迎しなかったのです。マタイの福音書5章3節でイエス様は言われました。「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」ここでイエス様が言われた「心の貧しい者」とは、この世の物、富や財産、名声によって心が満たされていない人のことだといわれています。この世の富では心を満たせない人、その人こそ、神様を求めて、天の御国を自分のものにする人です。まさに、祭司はこの世の富に満たされている人々ですが、羊飼いは貧しい者で、彼らの求めたものは神様からの恵みと救いだけだったのです。