羊飼いたちに知らされた喜びの知らせ

ルカの福音書2章8節~20節

クリスマスおめでとうございます。今日、皆様と共にクリスマスの特別な礼拝をささげることができますことを神に感謝します。前回は、ルカの福音書1章から、マリアの信仰について学びました。今日は、神が何故、救い主の誕生の知らせを、羊飼いたちに伝えたのかについて学びます。神は何故、神に仕える祭司たちではなく、羊飼いたちに救い主の誕生の知らせを伝えたのでしょうか。当時の羊飼いにも二種類の羊飼いたちがいました。一つは、たくさんの羊を持つお金持ちの羊飼い。もう一つは、そのようなお金持ちの羊飼いに雇われた貧しい羊飼いたちです。主の使いが救い主の誕生を知らせたのは、この貧しい羊飼いたちでした。

1、お金持ちと罪人

以前、マルコの福音書からの説教で、イエスが「お金持ちが天の御国に入るのは難しい。」という言葉を聞いて弟子たちは驚いたと言うお話をしました。当時の常識から言うと、お金持ちほど天の御国に近い者と思われていたからです。彼らはたくさんのお金があり、神様に多額の献金をしていました。また、生活に余裕があるために、神様の戒めを守り、貧しい者に施すこともできたからです。しかし、イエスは「お金持ちほど天の御国に入るのは難しい。」と言われました。その意味は、お金持ちは目に見える財産に頼り、神により頼むことができないため、お金持ちが天の御国に入るのは難しいと言われたのです。また、マタイの福音書9章で、イエスが取税人や罪人と呼ばれる人たちと食事をしているとき、パリサイ人たちがイエスを非難して言いました。11節「なぜあなたがたの先生は、取税人たちや罪人たちと一緒に食事をするのですか。」パリサイ人律法学者たちは自分自身を清く守るために、取税人や罪人と呼ばれる人々に近づかなかったからです。(彼らは、取税人や罪人と交わることによって彼らの汚れを身に受けると信じ彼らを遠ざけていました。)イエスは彼らに言われました。12節「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人です。」13節「わたしが来たのは正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」当時「罪人」と呼ばれたのは犯罪者だけではありません。貧しくて神の戒めを守れない人々を律法学者パリサイ人たちは罪人と呼び蔑んでいたのです。しかし、イエス・キリストはそのような貧しい人々や罪人と呼ばれ蔑まれた人々の友となり神のことば、福音の祝福のことばを伝えたのです。

2、羊飼いたちに知らされた喜びの知らせ

羊飼いと言う仕事は、生き物を相手にしているだけに、安息日を守り、神を礼拝するということができない仕事です。それゆえ、先ほどの律法学者パリサイ人たちは、羊飼いたちをも罪人と呼び、神から遠く離れた人々だと蔑んでいました。その羊飼いたちに神は救い主の誕生の知らせを伝えたのです。8節~12節「さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。御使いは彼らに言った。『恐れることはありません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは布にくるまって飼葉桶に寝ているみどりごを見つけます。それが、あなたがたのためのしるしです。』」そして天の軍勢が現れ神を賛美したとあります。羊飼いたちはこの光景を見てどう思ったことでしょう。15節「さあ、ベツレヘムまで行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見届けて来よう。」そして急いで行って、マリアとヨセフと飼葉桶に寝ている幼子を見つけ出しました。そして彼らは自分たちが神から受けた恵みを伝えたとあります。そして、神をあがめ、賛美しながら帰って行ったのです。羊飼いたちも自分たちは神から遠く離れた者だと思っていたのではないでしょうか。しかし、その自分たちに神は救い主の誕生と言う驚くべきことを伝えてくださった。彼らの驚きと喜びはどれほど大きなものだったでしょう。彼らはこの喜びのゆえに、急いで幼子を捜しに出かけたのです。

3、結論

私も神と出会っとき、この羊飼いたちと同じ喜びと驚きを感じました。私は25歳になるまで全くキリスト教と関係ない世界で生きていました。聖書も読んだことがなかったし、教会にも行ったことがありませんでした。教会についての知識は少しはありましたが、教会に行こうとは全く思ったこともありませんでした。それどころか、教会とはお年寄りや体に不自由な人が集まる弱い人の集まりというイメージがあり、それよりも、座禅をするとか、滝に打たれるとかそちらの方に興味がありました。しかし、25歳の時に、代々木公園で写真を撮っているとき、ある宣教団体の若いリーダに声をかけられました。これから教会でゴスペルコンサートがあるのでぜひ教会に来てくださいと。私はキリスト教に興味がなかったので何度も断りましたが、彼が熱心に誘うので、初めて教会に行きました。そして、その教会は私のイメージした教会の姿ではありませんでした。若者が多く集まり、賛美する姿に感動しました。その時の説教は理解できませんでしたが、心の中にゴスペルの曲がとどまり、ゴスペルに興味を持って教会に通うようになりました。神と出会うきっかけは様々です。ある人は、クリスマスやイースターの礼拝の後でいただく食事にひかれて教会に行くようになり洗礼を受けた人もいます。神は色々な形で私たちに語り掛けてくださいます。私たちはその語り掛けにどう答えるかが大切です。羊飼いたちは御使いの知らせに喜び、救い主を捜しに出かけたとあります。ヨハネの黙示録3章20節「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」とあります。神は遠くにいて私たちをながめている神ではありません。私たちが、心の扉を開けるなら永遠に私たちの心の中に住まわれると聖書にあります。私たちはこの目で神の姿を見ることはできませんが聖書のことばを通して、神の御心を知ることができます。神は私たちを愛し、私たちの人生を祝福したいと願っておられます。私たちは、今、先の見えないくらい社会の中で生きています。これから先、社会はどうなっていくのでしょうか。詩篇119篇105節「あなたのみことばは、私の足のともしび私の道の光です。」という言葉があります。先の世界を知るのは神のみです。その神が私たちを愛し共に歩みたいと願っておられます。神はお金持ちや豊かに暮らしている人々に救い主の誕生を知らせたのではなく、貧しくて神を礼拝できないような人々に、救い主キリストの誕生と言うすばらしい知らせを伝えました。同じように今でも神は正しい人や自分を誇る人ではなく、神様の助けを必要としておられる方に語り掛けてくださるのです。私たちは神の前に罪ある者です。救われる価値のない者でした。しかし、神はそのような者たちに声をかけてくださいました。そこに私たちは神の愛と恵みを感じるのです。