そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。

Iテモテ1:16

自分の信仰を振り返ったとき、自分は神さまに喜んでいただいた信仰生活を送ってきただろうか。と、反省させられます。神さまに喜ばれるよりも、悲しませること、目をそむけさせること、失望を与えることのほうが多かったのでは。神さまが義なるお方だけであったのなら、私のような紙切れはとうの昔にゴミ箱に入れられ処分されていただろうと思います。信仰生活を53年も歩み続ける事が出来たのは神さまがあわれみ深いお方であり、愛のお方であったからでしかないのです。これからもあわれみの御手にお委ねして用いていただくように祈るばかりです。