啓示論②:一般啓示(一)自然と歴史

第1回では、主がご自身を開示される「啓示」の定義と、その二大分類(一般啓示と特別啓示)について学びました。教父アウグスティヌスは、これを「神は人間にご自分を啓示するために『二つの書物』を与えられた」という言葉で説明しています。

 ・聖書(Scripture): 文字で書かれた書物。信仰と救いについての神の言葉。

 ・自然(Nature / 被造物): 目に見える世界そのもの。文字が読めない者であっても、神の存在や偉大さを知ることができる書物。

今回から2回にわたって見ていくのは、後者の「自然(あるいは歴史など)」という書物が、全人類に対して普遍的に開示されている「一般啓示(General Revelation)」であるということです。

1. 自然界における一般啓示

自然界は、単なる物理的・生物学的な空間ではなく、創造主である神の知恵と栄光を映し出す「鏡」あるいは「作品」としての側面を持っています。

神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。

ローマ人への手紙 1:19-20

① 天体や自然秩序の証言

夜空の星々や精密に運行する天体、季節の巡り、生命循環の精巧さは、偶然の産物ではなく意図的な設計者(神)が存在することを指し示しています。

天は神の栄光を語り告げ
大空は御手のわざを告げ知らせる。
昼は昼へ話を伝え
夜は夜へ知識を示す。
話しもせず 語りもせず
その声も聞こえない。
しかし その光芒は全地に
そのことばは世界の果てまで届いた。

詩篇 19:1-4

例えば、私たちの体の中には、命の設計図であるDNAがあります。このDNAの中に書き込まれた特定の情報のことを遺伝子と呼びますが、この遺伝子の情報がなければタンパク質は作られません。一方で、このDNA自体を正確に複製するには、酵素などのタンパク質の働きが不可欠なのです。そこには「ニワトリが先か卵が先か」という問いに似た謎が残ります。(ニワトリがいなければ卵が生まれないし、卵がなければニワトリは生まれない。)

しかも、仮にその問題が解決したとしても、まったくの無から生命のように複雑な「秩序」と「情報」が偶然誕生したと信じるのは、創造主が目的をもって創造したと信じることよりも難しいことでしょう。道路で腕時計を拾って、「これは自然界で偶然に発生したものだ」と信じる人はいません。「これは時計職人が作ったものだ」と信じます。同じように、すべての造られたものは、それを造った存在を示すのです。そういう意味で、「生命の神秘は創造主の証明である。(神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められる)」と言うことができます。

また、宇宙を見ても同じように不思議に直面します。仮に宇宙が膨張によって出来たとする説(ビックバン理論、インフレーション理論)をとるとして、その膨張速度を決定づけるエネルギーの密度に関わる「宇宙定数」は、計算上、理論値と実際の観測値に10の120乗分の1というギャップが存在します。この値が僅かでも大きければ宇宙は引きちぎられるように膨張し、星は作られませんでした。逆に僅かでも小さければ、誕生直後に重力で崩壊していました。

年末ジャンボ宝くじに当たる確率は10の7乗分の1、地球上に存在するすべての砂粒は10の22乗個、観測可能な宇宙に存在する原子の数が10の80乗個だそうです。10の120乗分の1という値が、いかに途方もない値であるかが分かるでしょう。王様が気まぐれに地球上のどこかに隠した一粒の砂を偶然に一発で見つけ出す確率でさえ、10の22乗分の1なのです。

宇宙が誕生するだけでこの確率なのに、それに加えて、太陽との距離や空気や温度、その他色々な条件が完璧に整っていなければ、生命は存在することも出来ませんでした。ある学者は、単純な原子や分子が完全に偶然組み合わさって自己複製能力を持つ最小の細胞を構成する確率を、10の4万乗分の1と表現しています。いずれにしても、この自然界は当たり前に存在するものではなく、奇跡的に存在するものであり、その奇跡の数々を考える時に、「本当にこれらはすべて偶然発生したものなのだろうか、いやむしろ、創造主なる神が存在することの証明ではないか」という思いをおこされるのです。

② 自然啓示の範囲

自然界を通じて伝達される情報は、主として「神の存在」「永遠の力」「神性(卓越性・知恵)」です。自然観察を通じて、人間は「この世界には人知を超える偉大な造り主がいる」という知識に到達することができます。

【自然界の秩序・美】 ──(観察と直感)──> 【創造主の存在・力・知恵の認識】

神は、一人の人からあらゆる民を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、住まいの境をお定めになりました。それは、神を求めさせるためです。もし人が手探りで求めることがあれば、神を見出すこともあるでしょう。確かに、神は私たち一人ひとりから遠く離れてはおられません。

使徒の働き 17:26-27

2. 人間歴史における一般啓示

神の一般啓示は、静的な自然環境にとどまらず、動的な「人間の歴史(歴史の摂理)」の中でも展開されます。

国家と民族の盛衰

歴史上、数々の帝国や文明が興亡を繰り返してきました。神学的には、これらの歴史的展開は無秩序な偶然ではなく、神の主権的な統治と摂理(Providence)の下にあると解釈されます。紀元前740ー540年頃の200年間を例に見てみましょう。

紀元前740−680年頃、イザヤはイスラエルの民がバビロン捕囚の裁きに合うことをすでに暗示していましたが(イザヤ39章)、そこからの解放と神殿再建を預言していました。

キュロスについては『彼はわたしの牧者。わたしの望むことをすべて成し遂げる』と言う。エルサレムについては『再建される。神殿はその基が据えられる』と言う。」

イザヤ書 44:28

キュロスというのは紀元前559年から530年ごろにアケメネス朝ペルシア帝国を治め、紀元前539年にバビロンを滅ぼした王の名前です。彼がイスラエルに神殿を再建する命令を出したので、バビロンにぼろぼろにされていたイスラエルは少しずつ復興していくのです。(エズラ記、ネヘミヤ記参照)

イザヤが預言し、ヒゼキヤが治めていた時代(紀元前740−680年頃)には持ち堪えていたイスラエル(南ユダ王国)が、罪と不信仰のゆえに、預言者エレミヤによって具体的に裁きを宣告されたのは紀元前627ー580年頃のことでした。

この地はすべて廃墟となり荒れ果てて、これらの国々はバビロンの王に七十年仕える。七十年の終わりに、わたしはバビロンの王とその民を──主のことば──またカルデア人の地を、彼らの咎のゆえに罰し、これを永遠に荒れ果てた地とする。わたしは、この地の上にわたしが語ったすべてのことばを実現させる。それは、エレミヤが万国について預言したことで、この書に記されているすべての事柄である。

エレミヤ書 25:11-13

この預言が実現し、彼らはイザヤも預言していたように、バビロン帝国に連れていかれたのです。(バビロン捕囚、紀元前605年頃)

その際、知恵を見込まれてバビロンで有力な官僚になっていたダニエルという預言者がいました。彼は後のバビロン→ペルシア→ギリシア→ローマ→神の国という歴史の流れを預言した人物ですが(ダニエル書2章)、バビロンの王に対して、神の主権の優位性と裁きを宣言します。この裁きを受けたバビロンの王ネブカドネツァルは、イスラエルの神の御前に屈服し、次のように語りました。

その期間(裁きの期間)が終わったとき、私ネブカドネツァルは目を上げて天を見た。すると私に理性が戻ってきた。私はいと高き方をほめたたえ、永遠に生きる方を賛美し、ほめたたえた。
その主権は永遠の主権。
その国は代々限りなく続く。
地に住むものはみな、無きものと見なされる。
この方は、天の軍勢にも、地に住むものにも、
みこころのままに報いる。
御手を差し押さえて、
「あなたは何をされるのか」と言う者もいない。
ちょうどそのとき私に理性が戻り、私の王国の栄光のために、私の威光と輝きが私に戻ってきた。私の顧問や貴族たちに求められて、私は王位に戻り、こうして絶大な権威が私に加えられた。
今、私ネブカドネツァルは、天の王を賛美し、あがめ、ほめたたえる。そのみわざはことごとく真実であり、その道は正義である。また、高ぶって歩む者をへりくだらせることのできる方である。

ダニエル書 4:34-37

さて、エレミヤの預言していた七十年のバビロン捕囚の期間が終わる頃、先ほど紹介したイザヤの預言が成就し、ペルシアの王キュロスがバビロンを征服しました。(紀元前539年)

神の宮は焼かれ、エルサレムの城壁は打ち壊され、その高殿はすべて火で焼かれ、その中の宝としていた器も一つ残らず破壊された。彼は、剣を逃れた残りの者たちをバビロンへ捕らえ移した。こうして彼らは、ペルシア王国が支配権を握るまで、彼とその子たちの奴隷となった。これは、エレミヤによって告げられた主のことばが成就して、この地が安息を取り戻すためであった。その荒廃の全期間が七十年を満たすまで、この地は安息を得た。ペルシアの王キュロスの第一年に、エレミヤによって告げられた主のことばが成就するために、主はペルシアの王キュロスの霊を奮い立たせた。王は王国中に通達を出し、また文書にもした。「ペルシアの王キュロスは言う。『天の神、主は、地のすべての王国を私にお与えくださった。この方が、ユダにあるエルサレムに、ご自分のために宮を建てるよう私を任命された。あなたがた、だれでも主の民に属する者には、その神、主がともにいてくださるように。その者は上って行くようにせよ。』」

歴代誌 第二 36:19-23

神は信仰を持たない異国(バビロンやペルシア、また後のギリシャやローマ)の王たちでさえ、支配しておられます。それゆえに、200年前からキュロスによる解放を預言し、70年前からバビロン捕囚の終わりとペルシア(キュロス)への主権交代、それに伴うイスラエルの裁きから解放、再建という歴史を預言されたのです。そして、歴史がその通りに導かれていくことを通して、全ての人が、神が確かに存在することを知ることができます。そういう意味で、これもまた一般啓示(すべての人に明らかにされ、神が存在することを示す啓示)であると言うことができます。

※ちなみに、イスラエルという国はローマによって滅ぼされ離散していましたが、1900年弱の時を経て、戦後再び国家を再建しました。信仰を持たない人々からすれば、彼らがその地に暮らしていた人々を追い出し、攻撃しているように見えるかもしれませんが(中東パレスチナ問題におけるイスラエルへの批判)、イスラエルがアブラハムに与えられた「約束の地(カナンの地、現代はパレスチナ地方と呼ばれる)」に帰還し、エルサレムが再建したということは、まだ実現していない聖書の預言がこれから実現することと関係しています。(エゼキエル書など)歴史を介した一般啓示は、現代でも同じように確認することができると言えるでしょう。

3. 一般啓示の効力と限界

一般啓示はすべての人類に与えられている重要な開示ですが、その効力には明確な限界が存在します。

項目

一般啓示の効力・可能範囲

一般啓示の限界・不可能な範囲

神の認識

神が存在すること、神の力・知恵・栄光を知る

神の愛の深さ、三位一体の性質、神の具体的御意思を知る

人間の状態

人間が神に対して言い訳できない(言い逃れ不能)ことの立証

罪からの不従順を自覚し、正しく神を礼拝すること

救いとの関係

特別啓示(福音)を受け入れるための下準備・背景となる

イエス・キリストによる救いの道を提示すること(救済効力の欠如)

4. なぜ一般啓示だけでは救われないのか

一般啓示によって神の存在を知ることはできても、それだけでは人間は救いに至ることができません。理由は二点あります。

①内容の限界: 自然や歴史は「神が存在する」ことは示しますが、「罪人である人間がいかにして神と和解できるか(十字架と復活の福音)」を語らないためです。

神の知恵により、この世は自分の知恵によって神を知ることがありませんでした。それゆえ神は、宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救うことにされたのです。ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。ユダヤ人にとってはつまずき、異邦人にとっては愚かなことですが、ユダヤ人であってもギリシア人であっても、召された者たちにとっては、神の力、神の知恵であるキリストです。

コリント人への手紙 第一 1:21-24

②人間の受容能力の歪み: 人間は罪の影響により、自然界に満ちている神の啓示を直視せず、偶像崇拝や無神論へと歪めて受け取ってしまうためです。

というのは、不義によって真理を阻んでいる人々のあらゆる不敬虔と不義に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。神について知りうることは、彼らの間で明らかです。神が彼らに明らかにされたのです。神の、目に見えない性質、すなわち神の永遠の力と神性は、世界が創造されたときから被造物を通して知られ、はっきりと認められるので、彼らに弁解の余地はありません。彼らは神を知っていながら、神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その鈍い心は暗くなったのです。彼らは、自分たちは知者であると主張しながら愚かになり、朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や、鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。

ローマ人への手紙 1:18-23

したがって、一般啓示は「人間に神を認識させ、言い逃れをなくす責任を生じさせる」という点において完全ですが、「人を救いへと導く」ためには、後に学ぶ「特別啓示(聖書とキリスト)」が不可欠となります。

第四回のまとめと引用聖書箇所

一般啓示の第一の柱である自然と歴史は、神の力と存在を全人類に力強く告げ知らしています。しかし、それは神の存在を指し示すにとどまり、罪からの救いを提示するためには「特別啓示(聖書とキリスト)」を必要とします。

  • ローマ人への手紙1:19−20
  • 詩篇 19:1-4
  • 使徒の働き17:26−27
  • イザヤ書44:28
  • エレミヤ書25:11−13
  • ダニエル書4:34−37
  • 歴代誌 第二36:19−23
  • コリント人への手紙 第一1:21−24
  • ローマ人への手紙1:18−23