「そのとき、あなたは主をあなたの喜びとする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。」
イザヤ書 58:14
上の御言葉は主がイスラエルの民に祝福を約束している箇所ですが、直前の箇所を見ると「もし~なら」と条件も語られています。「あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、主の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら……(イザヤ書 58:13)」繰り返されているのは、「自分の好むことをせず、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず」と自己中心性の否定です。安息日や聖日を「主の日」と置き換えて考えることも出来るでしょう。確かに日曜日を礼拝のために献げるということは、自分がしたいと望むことが出来なくなることです。しかし、主を讃美し、礼拝する聖日を「喜びの日」とするならば、そこに大きな祝福が注がれるのです。聖日礼拝を大切に。
