「ただ一つの確信」 ヨハネの福音書 9章1節~17節、24節~25節 金田洋介牧師
Ⅰ.生まれつきの目の見えない男性の信仰
ある時イエスは、道端で物乞いをしている盲人の男性に目を向けられました。するとイエスは、ご自分の唾で土をこねて泥を作り、その泥を盲人の目に塗って、「シロアムの池で洗いなさい」と命じられました。彼がイエスに言われた通りにすると、生まれつき見えなかった目が見えるようになったのです。これは、イエスが作った泥やシロアムの池に力があったのではなく、この無意味に思えるようなイエスの言葉に彼が従ったからでした。彼の目は信仰によって癒されたのです。目の見えない彼にとって、池までの道のりは困難の連続だったでしょう。石に躓いたり、途中で諦めてしまいそうになったかもしれません。しかし、最後までイエスの言葉を信じ、従った先に素晴らしい結末を得たのです。あなたもイエスの言葉を信じて従うなら、あなたの人生に神の御業が現れる(2節)のです。
Ⅱ.ただ一つの確信
ところが、イエスが盲人の男性を癒されたことを巡って騒動が起こります。ユダヤ人たちは、彼を癒したイエスについて聞くために、彼を連れてパリサイ人達の許へ行きました。すると、イエスを巡ってパリサイ人の間で論争が起こり、分裂が生じます(16節)。ユダヤ人たちも、癒しを信じることができないばかりか(18節)、イエスがどこから来たのかも理解できません(29節)。これは、彼らの不信仰が原因でした。 一方、目を癒された男性もイエスについては全くの無知でした 。しかし、彼には「私は盲目であったのに、今は見える…」(25節)という確信がありました。イエスが見えなかった目を開き、救ってくださったという事実に基づく、彼のたった一つの確信でした。 この事実は、彼がイエスの言葉に信じて従ったことによってもたらされた確信です。すべては、イエスを信じる信仰から始まります。「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。(テモテへの手紙第一 1章15節)

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アレカヤシ、グラジオラス、ゆり、グロリオサです!

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、麻婆豆腐丼、中華スープ、みかんです。麻婆豆腐は子どもにも食べやすい、マイルドで美味しい味付けでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。

教会の庭に咲く、ひっそりさんシリーズ。
刈り込みをされていた姉妹が、切るのはかわいそう、とこの花だけ残してくれました。シモツケですね!最後まで頑張って咲いてね。
「なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。」マタイによる福音書6章28~30節。