「強くあれ、雄々しくあれ」 ヨシュア記1章1節〜9節 金田ゆり牧師
モーセの死は、イスラエルの新しい時代の幕開けを意味しました。ヨシュアの使命はモーセとは違い、イスラエルを約束の地カナンに導き入れることでした。経験したことのない次のステージに進むヨシュアに、主は激励と確かな約束をされたのです。
①民全体で進め 3節〜4節
2節には「あなたとこの民はみな…」と主のご命令が語られます。全体で進め、と言われたのです。主の前に、誰一人として取り残されてはならない、ということです。新年、皆新しい抱負があろうかと思いますが、個人の喜びの為でなく、教会全体が喜び、次のステージに進むために達成させていただきたいのです。3節「すでにあなたがたに与えている」と主は言われました。「すでに与えたから安心せよ」というのです。主が与えようとされる祝福の領域に、私たちは一緒に入るのです。
②主が共におられるゆえに、強く雄々しくあれ 5節〜6節
5節「誰一人としてあなたの前に立ちはだかる者はいない 」とのヨシュアへの主のみ言葉は力強いものです。6節「強くあれ。雄々しくあれ」。成すべき使命はモーセ以上に厳しく、誰よりも大きな励ましが必要なヨシュアに、最大級の励ましの言葉をかけられました。主が共におられる、これは言うなれば勝利の約束なのです。主が共におられる、それゆえにわたしたちは、強く、雄々しく生きることができます さんみ言葉に従う時に強く雄々しく生きることができます。
③み言葉に従うときに、強く雄々しく生きることができる
しかし、好き勝手に生きて主が共におられるのではありません。主は、主のみ言葉に関して7節で「これを離れて右にも左にもそれてはならない。あなたが行くところどこででも、あなたが栄えるためである」と言われました。主がヨシュアに求められたのは、ただ一つ。み言葉を信じて従うことでした。み言葉を軽んじたイスラエル第一世代は、約束の地に入れませんでした。主は、み言葉と共におられるのです。主のみ言葉に従う、この一事に徹する。そこに主の臨在が常にあり、あなたと教会が栄える道があるのです。