2019年5月19日 主日礼拝メッセージ

「責められるところのない者として下さる神」 テサロニケ人への第一の手紙 5章23~24節 金田洋介牧師

パウロがテサロニケ教会に宛てた手紙です。パウロは教会が患難の中でも成長し、他の模範となっていることを喜んでいますが、その一方で幾つかの問題点を指摘しています。特に問題だったことは彼らのきよめのことでした。パウロは不品行を慎むように勧め、警告し(4章)、彼らの信仰の不足を補うために、顔と顔を合わせて伝えることができるように祈っていました。

偶像と罪が溢れていたテサロニケは、今日の私たちの環境とよく似ています。神はパウロの祈りの言葉を通して、私たちに語っておられるのです。

Ⅰ.きよめとは

「きよめ」は聖書にある「聖霊のバプテスマ」や「聖霊の満たし」のことです。以前、きよめとは神への完全な明け渡しであると語りました。自我が心の中心に居座るのではなく、聖霊なる神を全ての中心に置くのです。つまり、あなたの心の思いや意思、感情、価値観、行動、問題、罪、性質、性格といった、あなたの全領域に神が介入されることを受け入れるのです。あなたが神の介入を心から願い求めて明け渡すなら、神自ら働いて下さり、きよめの恵みに与ることができ、最後には神の御心と御言葉に喜んで従うことのできる者へと変えられるのです。

Ⅱ.責められるところのない者にしてくださる神

さらにパウロは、私たちが責められるところのない者として、神ご自身がきよめを保ち続けて下さると伝えています。聖霊なる神に満たされ、きよめられた後も、私たちは生来持つ弱さや、性質、性格の故に、罪の誘惑に襲われることがあります。しかし、きよめに与る者は神の介入を心から受け入れることができ、誘惑があっても罪に支配されず、たとえ過ちを犯してしまっても、常にイエスの十字架の贖いの恵みによって悔い改め、歩み直すのです。そして神ご自身が、責められるところのない者として、あなたを保ち続けて下さるのです。

きよめの恵みに与らせて下さる神は真実なお方です。真実な信仰をもって神を信じ、全生涯、全領域を神に明け渡し、神に介入していただきましょう。そして、神の御旨に生きる幸いな日々を歩ませていただこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、アリアム、ヘリコニア、グロリオーサ、ユーカリです。