2019年8月25日 主日礼拝メッセージ

「何を信じるのか、何を信じたのか」ヨハネの手紙第一1章5節~10節 金田洋介牧師

聖書には、私たち人間が信じるべき、神様の御言葉や事実が多く記されていますが、本日は信じるべき事実の一つについて語って参りましょう。

Ⅰ.人は誰でも罪人である

「罪」ということを考えることなしに、「何を信じる、何を信じた」ということを語ることはできません。人は誰でも神様の前に罪人です。もし、自分に罪がない、罪を犯したことがないというなら、自分だけでなく、神様をも嘘つきにしていることと同じだと聖書は語っています(8、10節)。神様の前に罪が赦されていない人の結末はみな、永遠の死と滅びです。神様の前に、罪の大きい小さい、重い軽いは関係なく、罪は罪として裁かれるのです。

Ⅱ.イエス・キリストが血を流して死んだ理由

次に「御子イエスの血」に注目します。御子イエスの血が流され、死んだ理由は、「すべての罪からわたしたちをきよめる」ためです(7節)。 イエス様が死んだのは、あなたの罪の身代わりだったのです。神様にとってイエス様という存在は、他に代わりのいない、誰も代わることができない、大切なたったひとりの存在です。イエス様を犠牲にすることは、神様にとって本当に耐え難い決断でした。それでも、私達の罪が赦されるために、イエス様を十字架につけられました。神様はかけがえないイエス様を犠牲にするほど、あなたを愛しているのです。

Ⅲ.私たちは何を信じるのか

「私の罪の身代わりに血を流して死んで下さったイエス・キリストによって、すべての罪がきよめられ、罪の滅びから救われた」という事実を信じるのです。もし、あなたが自分の罪を認め、罪を告白し、イエス様の十字架の死は私の罪の身代わりでしたと信じるなら、あなたの罪は赦され、きよめられるのです(9節)。まだ、イエス様によってもたらされた救いを信じていない皆さんは、「何を信じるのか?」が分かった今、この事実を是非、信じていただきたいです。すでに信じている皆さんは、「何を信じたのか?」が明確になった今、この事実をしっかり握って、信仰生活を歩んでいこうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、パンパスグラス、ゆり(オバダ)、りんどう、トルコキキョウ、ガーベラです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、丸天うどん、ゴーヤのサラダでした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。