2019年9月15日 主日礼拝メッセージ

「永遠に変わらない神 ~あなたが白髪になっても~」 イザヤ書 46章1~9節 金田洋介牧師

聖書は、神は『人間作られた神』であり、私たちが信じるべき真の神であると教えています。ところが、多くの人々がこの神を信じないで『人間作った神』すなわち偶像の神を信じ崇めています。『人間作った神』と『人間作った神』の違いを聖書から確認したいのです。

Ⅰ.人間が作った神は、人間が持ち運ばないといけない神である

1節の「ベル」「ネボ」とはバビロンで崇められていた偶像の神々のことですが、バビロンの人々の重荷や悩みを負うどころか、逆に人々の手によって担われ、家畜によって持ち運ばれていました。 これらの神々は人間の手で作られた偶像に過ぎませんから、作った人間よりも力を持つことなどできませんし、まして救うことなどできないと聖書は語っているのです。またイザヤ44章においても、偶像を造ること、偶像礼拝の愚かさを教えています。

Ⅱ.人間を作られた神様は、人間を運んで下さる神である

一方、人間を作られた神は、人間が担い、家畜に持ち運ばれるような神ではなく、『わたしは運ぶ。背負って救い出す。』(4節)とありますように、私たちを持ち運んでくださる神であると聖書は語っています。さらに、『胎内にいたときから担がれ、 生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、私は同じようにする。あなたがたが白髪になっても、私は背負う』(3-4節)とあります。これはすなわち、あなたが神を知らないで生きていた時も、罪に対して無関心でいた時も、悩み苦しんでいた時も、孤独を感じていた時も、神に担われ持ち運ばれていた、神の御手の中に守られていたということです。なんという恵みでしょうか。そしてその恵みは、神を信じた後も無くなるどころか、年老い白髪となり、この地上の人生を終える時まで続き、死んだ後は、永遠の命をいただいて神と共に永遠に生きるのです。

私たちが心から信じ慕うべき神は、私たちを造り、持ち運んで下さり、そして永遠に変わることのない神以外にないことを認め、人生の全てをお任せしようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、コデマリ、トルコキキョウ、リンドウ(ハイジラブ3号)、スプレー菊です。

今週は、敬老祝福愛さん会でした。
メニューは、栗ご飯、筑前煮、お吸い物、シャインマスカット、梨、紅白饅頭、お土産のお菓子もありました。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。初めての方も無料です。