2020年1月19日 主日礼拝メッセージ

「主イエスの招き~自分の十字架を負って主に従う~」マルコの福音書 8章31~38節 金田洋介牧師

『だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』この御言葉は、イエスが十二弟子に向けて語られた招きの言葉です。そして、このイエスの言葉は、今日を生きる私たちにも向けて語られているのです。

自分を捨てるとは、自己中心の歩みを捨て神を中心に生きることです。それは、自分の意思、考えを持ちつつも、「神は私に何を求めておられるのか」と心を神に向け、御心を求めて生きる生き方です。「主の目はあまねく全地を行きめぐり、自分に向かって心を全うする者のために力をあらわされる。(口語訳)とあります。時に、神が私たちに求められることと、自分の思いや願いとが異なったとしても、自分を捨て(思いと願いを神に委ね)、神の御心を行うなら、神はご自身の御力をあなたに明らかにして下さるのです。 そして、それらを経て初めて「自分の十字架を負う」ことができるのです。

次に「自分の十字架を負う」とは、イエスが父なる神の御心、ご計画であった、全人類の贖い(救い)の為の十字架を負われたように、神が私たちに対して立てられている神の御心、ご計画という十字架を負う(従う)ということです。もし、この十字架を避け、或いは無視し、自分の利益、欲求のみを求め続けるなら、神の御心を知ることも、御心に従うこともできません。なぜなら、「肉の思い(自己中心の思い)は神に敵対するから」です。しかし、神は十字架を負って神に従う者にそれを全うする力と豊かな報いを与えてくださるのです。

自分を捨て、自分の十字架を負う歩みは決して容易ではありません。しかし、他でもなくイエスご自身が神の御心に従順に従い、私たちの前を歩んで下さいました。私たちはイエスを信じて、神の御心の道を歩まれたイエスの御後を追って歩めばよいのです。イエスはあなたの助け主として私たちと共に歩んでくださるのです。イエスの弟子として、イエスの招きに共に従って参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ドラセナ、スカシユリ、グロリオーサです。

礼拝の後、ほぼ毎週愛さん会(美味しく、楽しいランチタイム)があります。
今週のメニューは、だご汁(味噌味としょうゆ味がありました)、りんごと白菜のサラダ、ご飯でした。
料金は大人250円、中学生200円、小学生150円、小学生未満は無料です。
初めての方も無料です。