「わたしにとどまっていなさい」ヨハネの福音書 15章1~8節 金田洋介牧師
先週の礼拝から、そして水曜祈り会も、Web会議用ソフトZoomを利用してライブ配信しています。技術の進歩によって、いつでも、どこでも、誰とでも繋がることができる様になりました。しかし、便利になったその一方で、イエスと私たちを引き離す力も強く働いていることを思います。時代は目まぐるしく変化していきますが、永遠に変わらない御言葉に耳を傾けていきましょう。
Ⅰ.イエスと私たちはひとつ
イエスは「わたしにとどまっていなさい」と言われました。それは、ぶどうの木と枝が一つであるように、イエスと私たちがひとつだからです。イエスにとどまり続けるなら、イエスから引き離す世の惑わしに勝利することができます。イエスにとどまるとは、イエスの御心、御言葉と全生活を一つにすることです。
Ⅱ.イエスにとどまらないなら
イエスにとどまらなければ、実を結ばない枝のように投げ捨てられ、枯れはて、最後には火の中に投げ込まれるとあります。これは、イエスにとどまらなければ、何によっても満たされない虚しい日々から解放されず、また、神によってもたらされる豊かな祝福を得ることもできず、最後には永遠の死と滅びが待っているということです。イエスにとどまらない歩みの結末は明白なのです。
Ⅲ.イエスにとどまるなら
しかし、イエスにととまるなら、多くの実を結ぶ(5節)のです。それは、神があなたの人生に素晴らしいことを行ってくださるとうことです。だからこそ、イエスは「わたしにとどまりなさい」と言っておられるのです。さらに、イエスにとどまる人の祈りに、神は最善の導きをもって応えて下さいます(7節)。そして最後には、その人の歩みを通して神の御名が崇められるのです。
イエスにとどまる人は幸いです。今からでも遅くはありません。イエスの御心、御言葉とあなたの全生活をひとつにして、日々を歩もうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、アレカヤシ、オンシジューム、カーネーション、スカシユリ、アルストロメリアです。
※礼拝後の愛さん会は、新型コロナウィルス感染拡大防止のために、休止しています。