「友なるイエスの願い」 ヨハネの福音書15章12-17節 金田洋介牧師
15:13 人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません。これは、イエスの十字架の死によって現わされた、あなたへのイエスの愛を指しています。イエスはあなたを友と呼び、ご自身の命を十字架の上でささげて下さいました。それは、あなたを罪の滅びから救うため、あなたへの最上級の愛を現わすため、あなたがイエスの友であることが証明されるためです。あなたの友なるイエスが、あなたに願っていることがあります。それは「あなたがたが互いに愛し合う」(17節)ということです。
実は、私たちには、互に愛し合うということを実践し、体験できる場所があります。それは教会です。兄弟姉妹、神の家族と呼び合う、この共同体の中で体験できるのです。共に喜び、悲しみ、痛み、笑い、祈り合い、互に思いやる姿は麗しく、神の為、人の為には、労苦や犠牲を惜しまない仕える姿、奉仕する姿は尊い。この世では、決して見ることができない愛の関係が教会の中にあるのです。それは神の愛、イエスの愛を土台とする愛が、聖霊の力によって現れるからです。しかし、教会の中だけ、兄弟姉妹の関係の中だけで終わってはいけません。私たちは、互に愛し合う素晴らしさを、麗しさを、尊さを体験したものとして、それぞれの家庭に、社会に出て行き、イエスの愛を持ち運び、互に愛し合う関係を生み出す者となるのです。他者を顧みない世の中、自分さえよければいい、人の悲しみに無関心、人の失敗を批判し、寄ってたかって責めるような世の中。人に責任を擦り付け合う世の中に、主の弟子として出て行き、神が望まれる実を、愛の実を結ぶために、神はあなたを選ばれたのです(16節)。
「あなたがたが互いに愛し合うこと」(17節)これが、あなたの友なるイエスの願いです。だから、信じてイエスの御名によって祈り求めるのです。普段自分が神の家族の中に体験している神の愛が、互に愛し合うことによって生み出される素晴らしい愛の交わりが、私の遣わされているこの場所に満ちるように!と。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、オリエンタルユリ、コデマリ、アルストロメリア、桜(陽光)です。
※礼拝後の愛さん会は、新型コロナウィルス感染拡大防止のために、休止しています。