2020年3月29日 主日礼拝メッセージ

「主イエスの御名によって祈れる幸い」ヨハネの福音書16章19-24節

 場面は、イエスが十字架にかかられる前夜のことです。弟子たちには、以前から気になっていたことがありました。それは、『しばらくすると、あなたがたはわたしを見なくなるが、またしばらくすると、わたしを見る』(19節)というイエスの言葉についてでした。これは、イエスの十字架の死と復活を意味していましたが、弟子たちは全く理解することができないでいたのです。イエスは弟子たちに、これまで経験したことのないほどの悲しみを経験することになるが、最後には必ず喜びに変わることを伝えました(20節)。イエスはその喜びを、女性の出産の喜びに例えられました(21節)。そしてその喜びは、誰も奪い取ることができない、いつまでもなくならない喜びだというのです(22節)。さらに、今後弟子たちは主イエスの御名によって、ダイレクトに父なる神に祈り求めるようになると宣言されました。「主イエスの御名によって祈る」とは、イエスと共に父なる神にお祈するということです。イエスは、「わたしの名によって求めなさい、そうすれば与えられる!」と約束してくださいました(23節)。それは、祈りに応えて下さる、父なる神の御力を体験することによって、弟子たちが喜びに満ち溢れるためだというのです(24節)。

今日私たちは「主イエスの御名によって祈る」ことができますが、祈るたびに覚えたいことがあります。

私たちは孤独ではないこと。救い主イエスが私たちと共におられるのです。主イエスの御名によって祈るたびに心に覚えましょう。

私たちは神との和解が与えられたこと。わたしたちは、イエスの十字架によって罪赦され、神と和解した故に、直接神に祈り求めることができるのです。いつも感謝しつつ祈りましょう。

私たちは神の御力を体験すること。神は主イエスの御名によって祈る素晴らしさをあなたに体験してほしいと願っておられます。積極的に祈り求めましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ウツギ、スターチス、ユリ、トルコキキョウ、アルストロメリアです。
※新型コロナウィルス感染拡大防止のため、現在愛さん会は中止しています。