2020年4月5日 主日礼拝メッセージ

父よ、彼らをお赦しください」ルカの福音書23章31~38節 金田洋介牧師

 受難週は私たち一人一人の罪の為に十字架へと向かわれたイエスの受難を深く覚える大切な時です。今年の受難週は新型コロナの影響で落ち着かない中にありますが、心を静めて十字架の上のイエスの苦しみを覚えましょう。

イエスは十字架の上で「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです」(34節)と祈られました。これは、イエスを十字架へと追いやった祭司や律法学者たち、態度を一変させたユダヤ人たち、必要以上にイエスを痛めつけ、罵った兵士たち、イエスを銀貨30枚で売り渡したユダや、イエスを裏切った他の使徒たち、そして、神と人とに罪を犯していながら「自分で何をしているの分かっていない」私たちに対する祈りでもあります。受難週を迎えるにあたり、自分の罪深さを見つめる時としたいのです。何をしているのかわかっていない自分を。神の御前に赦しを乞うべきは自分なのだということを。私たちは自分で思う以上に罪深い存在であることを。そこに気気付かなくては、イエスのこの祈り、愛の深さを理解することはできないのですから。

次に、十字架の上のイエスに向かい「自分を救ってみろ」と罵る者たちがいました。この言葉はイエスにとって大きな誘惑でした。何故なら、神の御子イエスにとって、それは容易にできることだからでした。しかし、イエスがそうしなかったのは、御子イエスを通して全人類の罪を贖うという神の救いのご計画を全うするためだったのです。イエスの十字架の死によって私たちは救われたのです。

また、イエスは恨み言も、反論もしませんでした。イエスから出てきたものは、彼ら(私たち)に対する愛と憐れみでした。身体も心も引き裂かれ、痛めつけられながらも、最後まで彼ら(私たち)を愛し、赦し、憐れんで下さったのです。

イエスの十字架によって、あなたの罪は赦されました。それは、あなたが罪が赦された者として他者を赦す者、イエスから受けた愛と憐れみに満ちる者となって、天の御国に入るためなのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。コロナウィルスの影響で、現在教会に集まっていないのですが、変わらずこの奉仕が続けられています。
今週のお花は、ユリ、かすみ草、アルストロメリア、カーネーションです。

熊本真愛教会では3月29日の礼拝より、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、教会に集まることを中止し、インターネットを用いて礼拝の中継を配信しています。中継のスタッフは牧師家庭のお子さんたちです。