「神の御心にかなう願い~神の知恵を求めたソロモン~」列王記第一3章3~15節
ある夜、神はソロモンの夢に現れ、「何でも求めるものを与えよう」と語られました。ソロモンは謙遜な心と態度で、「善悪を判断して神の民を裁くために、聞き分ける心」を求めました。この願いは神の御心にかない、知恵と判断の心が与えられたばかりか、求めなかった富や名声、そして父ダビデのように神の言葉と掟を守るなら長寿も与えるとの約束を得たのです。この後、ソロモンの知恵を求めて国内外から人々が集まって来ることになりますが、彼が与えられた知恵の要は神の御心を聞き分けて判断する心です。聖書は、私たちが「神の御心は何か、何が良いことで、神に喜ばれるか」を見分ける者となるように求めています。神の知恵は必要ないという傲慢、神を信じながら他のものを頼ろうとする二心、神の知恵や力を都合の良い時だけ求める自己中心の動機を捨てて、素晴らしい神の知恵に与る者となりましょう。
さらにソロモンの言葉からこの出来事の理解を深めていきましょう。彼は知恵を求める際に、「…出入りする術を知りません」(7節)と告白しました。この「出入りする」という言葉を、モーセは「自分に与えられた使命」、カレブは「日常の務め」を指して言っています(申命記31:2、ヨシュア14:11)。ソロモンの言う「出入り」とは「王としての使命と働き」はもとより、彼の全ての営みを意味しているのです。つまり、ソロモン、モーセやカレブのように、あなたの全生活の中に神の知恵、すなわち「神の御心を聞き分ける力(何が神様の前に正しくて、何が神様に喜ばれるのかを悟る力)」を求めることを、神は願っておられるということです。それこそが、「神の御心にかなう願い」なのです。あなたの限定された場所、限定された問題や課題の解決や導きの為だけに、神の知恵を求めるのではなく、全てのことにおいて、神の知恵を求めるのです。この後、ソロモンは晩年に神と偶像との間で揺さぶられます。ソロモンの姿から、神の知恵を求めること、そして、一生涯従い続けることの大切さを教えられます。

熊本真愛教会では、新型コロナウィルス感染拡大防止のため、インターネット礼拝をしています。
そのような中、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ミズキ、ユリ、トルコキキョウ、バラ、アリウム、カーネーションです。