2020年7月19日 主日礼拝メッセージ

「壊れた祭壇を築き直すエリヤ」列王記第一 18章22~30節  金田洋介牧師

Ⅰ.バアルの預言者との対決

カルメル山にエリヤ、バアルとアシェラの預言者合わせて850人。どっちつかずのイスラエルの民も集められました。祭壇に雄牛を置き、互いの神の名を呼び、火を下す神を神とすることになりました。まず、バアルの預言者たちが叫び求めます。長時間叫び、踊り、慣わしに従って身を切りつけ、血を流しても、何も起こりません。

聖書は偶像礼拝の愚かさと空しさ、そして、いかに人の心が偶像に向きやすいかを教えています。不安や試練に遭い、神が共におられるという確信が揺らぐような時、いかに容易に神を見失い、偶像という拠り所を造りだそうとする性質を持っているか、イスラエルの民の歴史からも知ることができます。案外、私たちの生活の中に、偶像となりうるものが潜んでいるかもしれません。イエスは「わたしにつながっていなさい」と言われました。どんな場面、試練、困難に直面しても、イエスにつながり続けることの大切さを改めて思わされます。

Ⅱ.祭壇を建て直すエリヤ

続いてエリヤが立ち上がり、彼は壊れていた祭壇を築き直しました。壊れていた祭壇は、主なる神が礼拝されていなかったこと、神との関係が完全に崩壊していたことを意味しています。直されていく祭壇を、民はどのような思いで見ていたでしょうか。きっと心が痛んだに違いありません。エリヤの叫びに、民が一言も答えなかったのは(21節)、僅かながらも、彼らの中に主なる神に対する信仰が残っていたからです。神は彼らの僅かな信仰にさえ、目を留めて下さるお方です。エリヤを通して、民との関係の回復を願っておられるのです。

今日、私たちはいつでもどこでも、主なる神の御前に出ることができます。主を讃え、主に祈り、感謝し、罪を告白し、イエスによる贖いを確かにします。目には見えなくてもそこには、あなたと主なる神との交わりという祭壇があるのです。何と幸いでしょうか。もし、神との交わりよりも他のことが優先され、神との交わりが失われているなら、「今更…」などと諦めず、すぐにでも築き直すのです。神はいつでも「わたしの側に近寄りなさい」と招いておられるのですから!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、白菊、スプレー菊、トルコキキョウ、グラジオラスです。