2020年8月9日 主日礼拝メッセージ

「屈するなかれ~祈り続けるエリヤ~」Ⅰ列王18:41-46 金田洋介師

 Ⅰ.一人残って祈り始めたエリヤ

エリヤはバアルの預言者との対決後、カルメル山の頂上に登り、『地にひざまずいて自分の顔を膝の間にうずめ』ました(42節)。「主よ私に答えて下さい」と叫び求めていた姿とは対照的な姿です。神は「わたしはこの地の上に雨を降らせよう(1節)」と言われました。天から火は降りましたが、雨はまだ降っていません。神の御言葉はまだ成就していないのです。エリヤは雨を求めて祈っていたのでした。私たちも集中して祈ることがありますが、状況が落ち着くと祈りを止めてしまうことがあります。例えば、悩みやトラブルの解決のために祈り、病や人間関係の癒しと回復のために祈りますが、解決や快方の兆しが現れると祈りの熱が冷めて、早々祈りの手を下げてしまうのです。エリヤの姿から、神の御言葉の結末を見るまで祈ることを止めないように心がけたいのです。

Ⅱ.屈しないで祈り続けるエリヤ

地面に跪き、膝の間に顔を埋めるエリヤの姿は、とても窮屈そうに感じます。まるで、これから続く苦闘(苦祷)の姿を現わしているかのようです。エリヤは若者に雨の兆しがないかを確認させますが、何の変化も見られません。それでもエリヤは若者を遣わし続け、彼自身も祈り続けます。結局、雨が降るまで7回も繰り返しました。私たちも祈りがすぐに答えられる経験はあると思いますが、ほとんどの場合、何度も祈らされると思います。それこそエリヤの様な苦闘(苦祷)を経験します。しかし、諦めないで祈り続けるなら、必ず主の時が来るのです。

Ⅲ.エリヤのように祈ろう

天から火を呼び、雨を呼び、神に用いられたエリヤですが、ヤコブの手紙には、彼が「私たちと同じような人」であったと記しています(ヤコブ5:17-18)。彼も私たちと同じように悩み、苦しみますが、全能の神への信仰に立ち続け、神の栄光を見たのです。同じ神を信じる私たちも、エリヤと同じ「祈り」という、最大の武器が与えられていることを覚えましょう。そして、エリヤのように、どんな状況に置かれても屈しない、信仰と忍耐で祈り続けようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユーカリ、ゆり、トルコキキョウです。