2021年1月24日 主日礼拝メッセージ

「神の御前に誠実に生きよう」Ⅱ列王記2章19~25節、 Ⅱコリント2章15~17節 

金田洋介牧師

本日はエリコとベテルの町で起こった出来事です。

Ⅰ.癒されたエリコの町

エリコの町は、ヨシュアの時代に神によって裁かれ、滅んだ町です。その際ヨシュアは、「町の再建を企てる者は主に前に呪われ、礎を据える者は長子を、門を建てる者は末の子を失う」と宣言します(ヨシ6:26-27)。その後、一時はエリコの町の名前がでなくなりますが、呪いの通りに長子と末子を失いながらも町を再建する者が現れます(Ⅰ列王16:34)。もともと、エリコはなつめやしの町(申34:3)で、住むには良い地でした。ところが、水が悪く多くの命が失われていました。エリコの人々は神の預言者エリシャに助けを求め、神はエリシャを通して、水の癒しを宣言したのです(21-22)。

Ⅱ.のろわれたベテルの町

 一方、ベテルの町にエリシャが訪れると、子どもたちがエリシャをからかいます(23)。エリシャは子どもたちをにらみつけ、主の名によって彼らを呪いました。すると二頭の雌熊が現れ、子ども42人をかき裂きました(24)。何とも痛ましい出来事です。ベテルは、遡ることヤコブの時代。彼の神体験がもとに「ベテル(神の家)」と呼ばれるようなりました。ところが、後に偶像礼拝に支配されてしまいます。それでも町には、神を畏れ敬う預言者たちが数名いましたが、町の人々はエリシャを快く思っていなかったようです。もしも、神を畏れる大人たちがいたならば、神の預言者をからかうことなど子どもにさせなかったはずです。かつて神に滅ぼされたエリコの町は癒され、ヤコブが神の祝福の約束に与ったベテルではのろいがもたられ、多くの命が失われてしまいました。

エリコとベテルでの出来事は、その歴史から全く真逆の結果を見ました。神はのろいを癒し、祝福を回復して下さる方であること、また、これまで祝福の道を歩んでいても、神の御前に不誠実であるならば、多くのものを失うことを真剣に受け止め、主の御前に誠実に生きたいものです。果たして、私たちは「芳しいキリストの香り、人々にいのちをもたらせる香り」とされているでしょうか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ネコヤナギ、ユリ、カーネーション、カラーです。