2021年1月31日 主日礼拝メッセージ

「私のうちにあるもの」Ⅱ列王記4:章1~7節  金田洋介牧師

本日の聖書箇所には、神に忠実に従ってきたある預言者の妻と、その子どもたちが体験した奇跡が記されています。神はツァレファテのやもめの母子の時のように、エリシャを通してこの母子を救われます。

Ⅰ.危機の中からの叫び

一人の預言者が死に、その妻がエリシャの許にやって来ました。彼女は、神とエリシャに忠実に仕えてきた夫が死に、残った借金のかたとして大切な二人の子どもが奴隷とされようとしていることを伝えました。彼女の叫びには、経済的な危機、家族崩壊の危機を訴えていることの他に、「神に忠実に仕えてきたのに、なぜこのように苦しまなければならなのか」と、神への信頼や信仰も揺らいでいるように伺えます。彼女には霊的な危機も迫っていたのです。

Ⅱ.わたしの家(うち)にあるもの

エリシャは彼女に「家の中に何があるか」と尋ねると、彼女は全てを処分してしまったのか、ただ、油の壺が一つだけあると答えます。家にあるものなんだと聞かれ、改めて自分には何も残っていないということを痛感したのではないでしょうか。「油の壺が一つ。これが何になるのだろう」何の希望も見出すことはできない、絶望的な状況です。しかし、神の御業というのは、私たちが「何もない、絶望的だ」と考えるその状況から始まるのです。

Ⅲ.わたしの内(うち)あるもの

彼女はエリシャに言われた通り、近所から借りてきた沢山の空の器に自分の油壺から油を注ぐと、借りてきた全ての器に油が満ちるという奇跡を体験しました。その油の量は、借金を完済して、なお家族3人が暮らしていけるほどのものでした。彼女のうちにある神を信じ信頼する信仰は、油壺に残っていた少量の油のようなものでした。しかし、信じて従ったその信仰に、神は豊かに応えて下さったのです。

あなたの口を大きく開けよ。わたしがそれを満たそう。詩篇81:10

あなたのうちには何がありますか。この神の御言葉を信じる信仰ではないでしょうか。今どんな危機的状況に在ったとしても、恐れないで信じようではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。今週のお花は、ユリ、グロリオサ、アルストロメリア、菜の花です。