2021年3月14日 主日礼拝メッセージ

「どんな時にも、どんな場所でも」Ⅱ列王記5章15~27節 金田洋介牧師

 

わが身をもってイスラエルの神の御力を体験したナアマンが、携えてきた豪華な品々をエリシャに渡そうと戻ってきたところから今日の話は始まります。

Ⅰ.感謝するナアマン~神が喜ばれる贈り物~

ナアマンはイスラエルの神を讃え、エリシャに感謝の品を贈りますが「すべては生きておられる神がしたことです」と頑なに拒否します(15-16)。するとナアマンは、感謝はエリシャに対してするのではなく、彼を通して働かれたイスラエルの神にするのだと気付きました。そして、神が喜ばれる一番の贈り物は、まことの神のみを礼拝することであると悟ったのです。ナアマンは異教の地アラムでイスラエルの神への礼拝と信仰を守り続ける覚悟を決め、アラムへと帰って行きました(17-19)。

Ⅱ.嘘だらけのゲハジ~神は全てを見ておられる~

次にエリシャに仕えていた若者ゲハジに注目します。聖書は彼の強欲な下心を記しています(20)。彼はエリシャの名前を使い、嘘の作り話でナアマンを騙して贈り物を受け取ると、自分の部屋に隠します(22-24)。そして何食わぬ顔でエリシャに会いました。「どこへ行っていたのだ」とのエリシャの問いかけにも彼は嘘で応答します。ところがエリシャは、ゲハジの全てを見抜いていました。彼がくすねた金銀でしようとしたことも(26)。ゲハジは神に裁かれ、エリシャの許から去って行きました。

Ⅲ.どんな時にも、どんな場所でも

とても対照的な姿を見ました。彼らから学ぶべきことを3つあげます。

①まことの神だけを礼拝し続ける。ナアマンのように、この国で神を信じ続けること、礼拝し続けることは、決して容易なことではありません。しかし、神は真実に誠実に神の前を歩む者を守ってくださるお方であることを覚え、励んで参りましょう。

②神に栄光を帰する。エリシャのように神に栄光をお返しするのです。全てのことに神が介入されることを認め、神に感謝し、その御業を証し続ける。これはとても大切なことです。神の栄光を自分の為に利用したゲハジの様になってはいけません。

③神が私たちを見ておられることを覚えて生活する。ゲハジは神に仕える立場にありながら神を欺き、裁かれました。神は見ておられ、聞いておられ、知っておられるのです。生活の身近なところにこそ、罪の危険が潜んでいます。罪から身を守る方法は、神が私たちを見ておられると、常に覚えて生活することです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ユリ、カーネーション、トルコキキョウ、ストックです。