「エマオの途上~主よ、共に宿りませ~」ルカの福音書 24章13~32節 金田洋介牧師
二人の弟子がエマオへの途上で復活されたイエスと出会いました。イエスとのやりとりと、彼らの変化に注目しましょう。
Ⅰ.聴いて下さるイエス
イエスは彼らが道すがら論じ合っていた事について尋ねられました。これは顔を曇らせていた二人の心の奥底に触れるためです。おそらく、二人だけで論じ合っていた時は何の答えも出せないまま、モヤモヤしていたのでしょう。しかし、二人の間にイエスが入られたことによって交わりが生まれ、二人は自分たちの気持ちも交えて夢中になってイエスに語り出します(19-24)。イエスは、人生の途上にあるあなたにも近寄り、あなたの心の奥底にある思いを聴いて下さるお方です。
Ⅱ.イエスの御言葉を聴く
彼らの話を静かに聞かれたイエスは、ご自身について聖書に書いてあることを彼らに説き明かされました。すると、暗く沈んでいた彼らの心は燃やされていったのです(32節)。これはとても大切なポイントです。イエスに聴いていただいたら、今度は私たちがイエスの御言葉を聴くのです。暗い話題ばかり聞こえてくる今こそ、主の御前に静まり、御言葉を慕い求めるのです。御言葉にはあなたの魂を救う力があります。
Ⅲ.イエスから離れない~主よ、共に宿りませ~
この後歌う、新聖歌336「日暮れてやみはせまり」は、このエマオ途上の出来事を想起させます。歌詞の「主よ、共に宿りませ」は、心燃やされた弟子たちが必死にイエスを引き留めた言葉です。この後、彼らはイエスと共に食卓に着き、イエスからパンを受け取った瞬間に目が開かれ、自分たちと共にいた人物がイエスであることが分かります。イエスとの交わり、イエスの御言葉に心を開くなら、彼らのように心燃やされ、「主よ共に宿りませ」とイエスから離れたくないと願う者に変えられ、さらにはイエスご自身を明確に捉えることができるのです。
エマオの途上にあった弟子たちに寄り添われたイエスは、あなたの人生にも寄り添って下さるお方です。あなたの心の奥底にある声をイエスに聴いていただくところから始めようではありませんか。必ず、素晴らしい結果があなたに訪れることでしょう。