2021年4月25日 主日礼拝メッセージ

「アブラハムの信仰~神の言葉を道しるべに~」ヘブル人への手紙11章 6~12節 

金田洋介牧師

本日からしばらくの間、信仰の人アブラハムの生涯からメッセージを語って参ります。聖書箇所のヘブル11章には、信仰者たちが大勢登場します。特にアブラハムについての記述は、他の人物よりも多く割かれています。その中に、信仰によってアブラハムは神の召しに従い、どこに行くのか知らないで出て行ったとあります(8節)。神の御声を聞くという、素晴らしい体験をアブラハムはしますが、別の言い方をしますと、彼は御声を聞いただけにすぎません。しかし、彼は御声をかけられたお方が信じるに足るお方であると信じて従い、出て行ったのです。そこで本日注目したいことは、アブラハムが神をどのように捉えていたかということです。彼の信仰から3つのポイントを挙げます。

Ⅰ.神は知っておられるお方

神はアブラハムに「わたしの示す地へ行きなさい」と言われました。アブラハムは自分を導こうとされているお方は、闇雲に行かせるようなお方ではなく、目的地を知っておられる、と信頼して出て行きました。同様に、神はあなたの人生、行く先々をしっかりと備えた上で導かれるお方です。丁寧に、そして大切に導かれるのです。なぜなら、あなたは神様に造られた存在であり、高価で尊い存在だからです。

Ⅱ.神は確かな計画を持っておられるお方

わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。…地のすべての部族は、あなたによって祝福される。自分を導かれたこと自体に神の確かなご計画があると信じたアブラハム。しかし、具体的にどうされるかはすぐには明らかにされず、神と共に歩むことによって体験していきます。神が私たちに立てられている計画は確かで、平安、将来、希望を与える計画です(エレ29:11)

Ⅲ.神は共におられる(見ておられる)お方

行く道を示し、計画を全うすることができるのは、神がアブラハムと共におられるからです。自分には行く先も、これから起こる出来事が、未来が見えなくても、神には見えていると信じたのでした。アブラハムは神の言葉を道しるべにして、立ち上がって行ったのです。アブラハムと共におられた神は、あなたと共にいて下さいます。

私たちは将来どころか、次の瞬間に何が起こるかも分からない者ですですが、神は知り、確かなご計画を持って導き、世の終わりまでも共にいて下さるお方です。神の御言葉を信じて、信仰の旅路を歩んで参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が
活けられています。
今週のお花は、ギンバサザナミ、ユリ、カーネーションです。