2021年6月6日 主日礼拝メッセージ

「神に栄光を、神に感謝を、神が私を」創世記14章14~24節 金田洋介牧師

 

アブラハムを迎えた、サレムの王メルキゼデクに注目しましょう。彼を通して、アブラハムは神に目を向け、大切な事に気付かされるのです。
神に栄光を帰する(お返しする)
 メルキゼデクは、「いと高き神に誉れあれ」と神をほめたたえています(20節)。アブラハムに勝利を与えて下さったのは神だからです。アブラハムの僕たちは、訓練されていたとはいえ、素人集団。不思議な知恵と作戦を与えられたのは、神の介入によるものです。知恵も、勇気も、敵を打ち破ることができたのも、すべて神の力だと、アブラハムは改めて気付いたのです。皆さんは、神に栄光をお返ししていますか。運が良かった、私の努力だ、で終わっていませんか。私の全ては神に握られていると、神に感謝して栄光をお返ししましょう。
神に感謝をささげる
 「十分の一をささげる」という言葉が、聖書で初めて出てくるのがこの場面です。①にも繋がることですが、全ては神の導きと助けによるものだと、アブラハムが確信していたからこそ、ささげたのです。神はこれまでも、そしてこれからも、信頼できる間違いのないお方だと確信したのです。私達も、神への精一杯の感謝と、守り養い続けてくださる神への信頼を、捧げものをもって現したいものです。
神が私を祝福して下さる
 「わたしはあなたを祝福する」と、神は祝福の計画を用意してアブラハムを導かれました。約束された神が、責任をもって果たして下さるのです。彼はロト救出の出来事、メルキゼデクの祝福の言葉を通して、神が私を祝福して下さると確信しました。だからこそ、ソドムの王の申し出を拒否したのです(23節)。ソドムの王の言葉は、この世を象徴するかのようです。この世は、神から引き離すもの、神を覆い隠し見えなくするもので溢れています。あなたを祝福して下さるのは神なのです。
メルキゼデクが持ってきたパンとブドウ酒は、イエスの姿を思い起こさせます。身体が裂かれ、血を流し、命を犠牲にして私達を救われた、十字架の上のイエスです。イエスの十字架は、私達が罪赦され、神と和解し、神の祝福に与る為です。この世に心を奪われてはいけません。あなたを祝福することができるのは、独り子イエスを犠牲にしてまで救って下さった、まことの神だけです。神に栄光をお返しし、感謝をささげ、神が私を祝福して下さると信じ、確信して歩もうではありませんか。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ブルーベリー(枝)、オリエンタルユリ、グロリオーサ、アジサイです。