「ひれ伏して、笑うアブラハム」創世記17章15~21節 金田洋介牧師
神はアブラハムに妻サラによって男の子を与えると告げられました(16節)。待ちに待った主の言葉。しかし、アブラハムとサラのリアルな反応が記されています。
Ⅰ.アブラハムのリアルな姿…ひれ伏しながら笑う
待ちに待った言葉を受け、アブラハムは神の御前にひれ伏しますが、何故か笑っています(17節)。無理もありません。彼は100歳、サラも90歳になろうとしていました。彼は非現実的な事(サラとの子)を信じるより、現実的な事(イシュマエルの祝福)を期待したのです(18節)。彼の消極的な信仰と態度とは反対に、神の計画は全く揺るぎません。神はサラから生まれる子にイサクと名付けるよう命じます。(19節)。
Ⅱ.サラのリアルな姿…心の中で笑う
サラも自分に子どもが与えられることを聞きました(18章)。ところが彼女も心の中で笑って呟きます。「年老いてしまった私に、何の楽しみがあるでしょう」と。サラの反応も、アブラハムと同じです。ところが、サラの心を声を聞いていた神は、「主にとって不可能なことがあるだろうか!」と彼女に言われます。恐れた彼女は「笑っていません」と咄嗟に嘘をついてしまいます。リアルな彼女の反応です。
Ⅲ.笑わせたい神様
アブラハムとサラの笑いは、疑いや諦めの思いが占める笑いだったと思います。しかし神は、アブラハムには「わたしは全能の神である」、サラには「主にとって不可能なことがあるだろうか」と御声をかけ続け、彼らの信仰を励まして下さったのです。何としても彼らを笑わせたい、幸せにしたいという神の強い決意と、彼らに対する神の深い愛を感じます。
私たちもアブラハムやサラのように、神の御前にひれ伏しながら笑ってしまうような者ではないでしょうか。御言葉を聞いたそばから「信じられない」と疑い、「無理だろう」と初めから決めつけ、諦めてしまうことがあると思うのです。しかし、神はどこまでも御言葉をもって、私たちに迫って下さいます。「わたしは全能の神である」「主にとって不可能なことがあるだろうか」と。神は信じることができず、疑い、笑ってしまう私たちの手を引き、懐に引き寄せ、神の御力が一番見えるところに導いて下さいます。そして、あなたの疑いの笑いを、諦めの笑いを、幸せの笑いに変えて下さるのです。信じない者ではなく信じる者となって、神の御業を心から期待しましょう。