「水面下で進む神の備え」出エジプト記2章11~25節 金田ゆり牧師
ファラオの娘の子として育てられたモーセ。40歳の時、同胞イスラエルを顧みて、彼らを救おうとしましたが、うまく事は運びませんでした。出エジプトのご計画の実行されるまでに、彼自身が整えられるという神の備えが完了していなかったのです。
- 自らの無力を知ったモーセ 11-15節
イスラエルの苦役を見たモーセ。一人のエジプト人が一人のイスラエル人を虐待しているのを見て、そのエジプト人を殺してしまいます。彼は、この時点で、神は自分を通してイスラエルを救うのだと自覚していますが、自分に与えられた地位や知恵を用いて救おうとしました。自分自身が主導でした。しかしその結果、同胞から認められず、ファラオから追われる身になり、異国ミディアンまで逃げることになります。モーセは、初めて自らの無力を知りました。神の前に身を低くし遜る。自らの無力を知ることこそ、神が彼に求められた備えだったのです。
- 神の民としての自覚を取り戻したモーセ 16ー22節、へブル11:24―25
モーセがミディアンの井戸の傍らに座っていた時、ミディアンの祭司の娘たちが羊の群れのための水を汲んでいました。そこに意地悪な羊飼いたちが来て、彼女たちを追い払いましたが、モーセが彼女たちを助けました。彼女たちの父親はモーセを呼び寄せます。モーセは「心を決めて」ミディアンに住み、結婚しました。神はここで、これまでのモーセの地位を完全に捨てさせました。彼は、この時、神の民イスラエルの自覚を取り戻したのです。この一連の出来事は、モーセにとって惨めで散々なものでした。しかし、彼は不必要なものを捨て去り、神の民としての自覚を取り戻し、神のものとされたのでした。モーセが真に用いられるための、備えでした。
- 神はご計画を必ず実行される 23―25節
その後モーセは、羊飼いとして40年の歳月を過ごすことになります。40年となると人間的には諦めたくなるものですが、神が水面下で備えさせ、そのまま、ということは決してないのです。備えさせるのは、ご計画あってのことなのですから。アブラハムとの契約から、実に400年が経とうとしていましたが、これほどの年月が経とうとも、神がみ言葉の約束を忘れられることはありませんでした。神は、そのご計画の備えとして、あなたを整えられます。その期間は、必ずしも喜ばしい期間ではないかもしれません。しかし、その時は主の前に遜り、無力を知る時です。不必要なものを取り除かれ全く主のものとされる時です。水面下での神の備えの期間が満ちた時、あなたが用いられる時が必ずやってくるのです。