2021年12月5日 第二アドベント主日礼拝メッセージ

「この人を見よ」ヨハネの福音書1章 29~37節 金田洋介牧師

 

今年のアドベントはイエスというお方がいかなるお方なのかをテーマに語っていますが、本日はバプテスマのヨハネの証言(紹介)に注目したいと思います。ヨハネは自分が見聞き(体験)したことに基づき、イエスについて証言しています。

①イエスは私より先におられたお方

1:30 『私の後に一人の人が来られます。その方は私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。

ヨハネは前日に語った(27節)ことを基に、イエスについて証言しました。これは先週の説教で語られたように、イエスが天地万物が創造される前から存在していたお方、神ご自身であるということです。だからこそヨハネは、イエスが自分より先におられたお方であり、私よりはるかにまさっておられるお方だと言っているのです。

②イエスは神の子であり、聖霊によってバプテスマを授けるお方

続いてヨハネは、イエスにバプテスマを授けた時、聖霊が鳩のように天から降って、イエスの上にとどまるのを見たことによって、「この方こそ神の子である」ことをはっきりと知ることができたと言っています(32~34節)。なぜなら、彼をこのような働きに遣わされた神様が語られたことを、彼自身が目撃したからです。

イエスの上に降り、とどまった聖霊は、今も私たちに注がれ、イエスによる救いへと導き、「イエスこそ神の子、救い主」という信仰告白へと至らせて下さるのです。そして、この聖霊によって私たちは力を受け、イエスの証人とされていくのです。

③世の罪を取り除く神の小羊なるお方

ヨハネはイエスを指して「神の小羊」と宣言しました(29節)。それは、イザヤ書53章2~7節に預言されていた「屠り場に引かれて行く羊」に表された「苦難の僕」こそが、イエスその人を指しているからです。苦難の僕は、自らは何の罪もないのに人々の罪のために痛めつけられ苦しめられます。その姿はまさに、十字架の上でご自身の命を犠牲にして人々の罪を贖ってくださったイエスのお姿そのものです。イエスこそ、世の罪を取り除く神の小羊として、私たちを罪の滅びから救うために神ご自身が遣わして下さったお方なのです。

バプテスマのヨハネは「見よ」と叫びました。すなわち、私たちの罪の身代わりとなられたイエスを信じよということ。そして、信じてからもこのお方を仰ぎ見続けるということなのです。「この人を見よ この人こそ 人となりたる 生ける神なれ」( 新聖歌99)

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、モンステラ、ユリ、アルストロメリア、ストックです。