2022年1月16日 主日礼拝メッセージ

「喜びの日に備えて」マタイの福音書 25章1~13節 金田洋介牧師

 

テキストは、イエスが世界の終わりの時の様子や前兆について語られた後、再臨の時に備えてどう過ごすべきかを、たとえを用いて語られているところです。イエスが再びこの地に来られる「再臨」に備えて、心に覚えて日々を過ごしたいのです。

この譬えに花嫁のお世話をする10人の娘が登場しますが、5人は愚かで(思慮が浅く)、5人は賢い(思慮深い)娘たちでした。彼女たちは、花婿の到着を待っていましたが、花婿の到着が遅れたために居眠りをしてしまいます。すると思いがけないタイミングで花婿の到着の声が上がりました。娘たちは急いでともしびを整えました。ところが、愚かな娘たちは予備の油を備えていませんでした。彼女たちは慌てて買いに出かけます。一方、予備の油を用意していた賢い娘たちは、無事に花婿を迎えることができ、婚宴の戸は閉められました。するとそこに、油を買いに出ていた娘たちが帰って来ますが、時すでに遅し。彼女たちは祝宴に加わることができませんでした。

これは、第一にイエスの再臨の時が必ず訪れることを示唆しています。「わたしは必ず来る」とイエスは言われました。私たちはこの言葉を信じて受け止め、備えなければならないのです。その日は「盗人の日」のように襲ってくる」(Ⅱペテロ3:10)と聖書は教えています。主の時は必ず来るのです。

第二に、私たちはともしびと油を用意しなければなりません。ともしびを持って花婿の到着を待っていたように、イエスは再び来られると信じる信仰を持ってその日を待つのです。そして油がないと炎が消えてしまうように、真理の御霊である聖霊、助け主なる聖霊によって、信仰の炎を燃やし続けるために、いつも聖霊に満たして下さいと求めて待つのです。

イエスは再びこの地に来られます。それは、私たちが死んだ後か、もしかしたら、生きている間かもしれません。明日かも、明後日かもしれません。私たちはともしびを備えなければなりません。御言葉に根差した生活を、聖霊の助けによって歩んで行きたいのです。主イエスが来られる喜びの日を心から待ち望みつつ、過ごして参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、デルフィニュウム、マトリカリア、ユリ、ストックです。