2022年3月13日 主日礼拝メッセージ

「前のものに向かって」ピリピ人への手紙3章12~16節 金田洋介牧師

 前回のメッセージで、パウロの内に起こった価値観の逆転を知りました。けれども、彼はそこで留まらず、さらにイエス様を人格的に知ることと神様に与えられた使命に生きました。彼は「自分のために死んでよみがえった方のために生きる」(Ⅱコリント5:15)ことを追及していたのです。

3:13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。「すでに捕らえた」とは「目標に達していない」。つまり、私が目指していることはもっともっと先にあるんだとパウロは語ります。そして、3:13bただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、3:14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。

イエス様に捕らえられ(救われ、神の子どもとされた)、新しい命に生きる者とされたパウロ。「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられる(ガラテヤ2:20)。もう過去のような古い生き方、価値観、考えに囚われない。ただひたすらに、全力でキリストの福音にふさわしく生き、いつの日か天の御国において、神様からいただける賞を(栄冠を)目標にして、自分は走っているんだ。あなたがたも私と同じ考えを持ち、キリストの十字架を誇りとして生きなさい」と、ピリピの信徒たちに強く勧めたのでした。

神様は私たちに対しても、パウロと同じ考えを持って歩んでほしいと願っておられます。イエス様によって捕らえられた者、救われた者として、神様の御国に、天国に召し入れられる日、栄冠に与る瞬間が来ることを覚え、その時を目指して日々歩んでいくのです。どのように日々を過ごしていくかは、これまでピリピの信徒たちにパウロが教え、勧めた言葉から語ってきたことを思い起こし、神様の御言葉に従い、神様の御心を行うことに日々努めるのです。神様が始めて下さった良い働き、神様が立てて下さった志に従って、疑わず呟かずにそれを行い続けるのです。もちろん、私たちはイエス様を信じたことによって天に召されること、神様から栄冠をいただける確約をいただいています。何か特別な行いをしたからではなく、信仰によって与えられる約束です。しかし、私たちはパウロを通して「生きることはキリスト」を教えられました。私たちは神様に生かされている限り、神様に与えられた使命に生きたいのです。

この地上の歩みは天国に繋がっています。曲がった邪悪な世にあって、光の子として歩み、前を向いて(天のゴールに目を向けて)、日々を過ごして参りましょう。神様からの賞(栄冠)に与るその時まで!

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、ミモザ、ユリ、トルコキキョウ、マトリカリアです。