「知れ、わたしこそ神」 詩篇46篇1~11節 金田ゆり牧師
詩篇46篇が書かれた背景には、アッシリアに包囲され絶体絶命のピンチに追いやられた南ユダが、神様に依り頼み、神様が絶大なお力をもってアッシリアを撃退された、という歴史的事実があります。私たちの人生には、神様の許しの中で避けられない困難があります。私たちに必要なのは、困難が全く起きないように願うことではなく、困難を乗り越える力なのです。
- 神はわれらの避け所、力、強き助け 1~4節
作者は開口一番、神というお方はどのようなお方であるかを告白します。神は、困難が押し寄せるときの、避け所。どんな困難も乗り越えさせてくださる力。誰よりも早く手を差し伸べ助けてくださるお方。天地を創られた神は、われらと人格的に関わり、現実的に、具体的な助けとなってくださる。2~3節は、徹底的な破壊に直面する様を現わしていますが、そのような破壊の中でも「われらは恐れない」と言うのです。大軍アッシリアに囲まれたにも関わらず、圧倒的な勝利を与えられた神様を体験したからこその告白です。あなたのぶつかっている困難は、この告白があなたのものとなるためにあるのです。
- われらの手の及ばぬところでの圧倒的勝利 5~7節
神に依り頼むものは、決して揺るがされることがありません。人間がどれだけ最善を尽くしても限界があります。しかし、このお方に信頼する時、思わぬ勝利の追い風を経験します。アッシリアの大軍は、夜のうちに完全に撃退されました。「朝明けまでにこれを助けられる」とは、我らの手の全く及ばないところでの勝利と言うことができます。このお方に信頼するなら、このお方の圧倒的勝利を、あなたはその目で見ることになるのです。
- 神を知るための人生 8~11節
直接的には、神様がアッシリアを打ち破り戦いをやめさせたこと。また、この歴史の中で起こっているすべての戦争をやめさせてくださる預言的意味もあります。神様の強制終了が必ず来るのです。私たちの人生で戦いが起こることは避けられませんが、神様の勝利も避けられない確実なものです。「やめよ」!と権威をもって戦いをやめさせるお方は、「知れ。わたしこそ神」と言われます。わたしこそ、あなたの神であることを知れ。私たちの生涯はこのお方を知るための生涯です。避けられぬ戦いは、このお方を知るためにあるのです。ああ、確かに神はわれらの避け所。力。強き助け。われらの手の及ばぬところで勝利してくださるお方。このお方こそ、神で在られる。このお方こそ、私の神である。あなたがこのお方に信頼し、困難を乗り越え、生涯をかけてこのお方を深く知ることができますように。神を知る喜びに満ち溢れた生涯でありますように。