2022年10月2日 主日礼拝メッセージ

「何ものにも妨げられない神の祝福」民数記22章1~6節、24章1~9節 金田洋介牧師

 

本日の出来事は、イスラエルの民を恐れたモアブの王バラクが、まじない師バラムを招き入れようと企てたことから始まります。バラク王は呪いの力でイスラエルを貶めようとしたのです。王の使者たちがバラムの所に訪れると、まじない師のバラムが神様に御心を伺っています。彼にとって必要なのは神様の力だけでした。彼は神様のお言葉に従い、バラク王の招きを断ります。しばらくして、再び王の使者がやって来ました。今度は多額の報酬が提示され、バラムの心は揺れます。神様はバラムの本心を見抜き、彼の出発を許されます。ところが、途上でバラムは不思議な体験をします(22:22~35)。その体験を通して彼は大切なことに気付かされ、神様の前に罪を悔い改めます。この体験後、バラムは神様の告げる言葉だけを語る者へと変えられます。

バラムを迎えたバラク王は、イスラエルの民が見える場所に彼を連れて行くと、イスラエルを呪うよう命じます。ところが、バラムはイスラエルを呪うどころか祝福を宣言します。イスラエルの祝福こそ神様の御心だったたからです。納得のいかないバラク王は、場所を変えて再度呪うよう命じます。しかし、バラムはそこでもイスラエルを祝福します。すると王は三度場所を変えますが、驚くことが起こります。なんと、バラムが神様の霊に満たされ、イスラエルの祝福と勝利を宣言し、さらに来るべき救い主について預言したのです。このように、バラクの企みは神様によって打ち砕かれたのでした。

これらのことはイスラエルの民の知らない中でなされた出来事です。イスラエルの民は、バラクの企みもバラムの存在も知りません。民の全く知らないところで、神様は彼らを守り、呪いを祝福に変えて下さったのです。私たちもそのような神様の守りの中に置かれていることを覚えたいのです。詩篇121篇にありますように、神様は眠ることもまどろむこともなく、私たちの日々を守っておられるのです。

最後に、「占い」や「まじない」が私たちの身近にあり、テレビや雑誌、ネットでも目にしない日はありません。実に多くの人々の人生に影響を及ぼし、神様を信じている私たちの心をも揺さぶってきます。しかし、恐れてはなりません。バラムが神様の霊に満たされて預言した救い主イエス様は、私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり、神様の裁きを受けて下さいました。しかし、このお方は死からよみがえられたのです。それはつまり、私たちが罪と死の呪いから解放され、神様と共に生きる命と永遠の命を与えて下さったということです。ですから、いつでも、どこでも神様の祝福が私たちを取り囲んでいるのです。神様の祝福とは、私たちを罪と死から救うために、ひとり子を与えてまで愛し、救って下さった神様と共に日々を過ごすことです。これこそが、何ものにも妨げられない神の祝福です。どうか、この神様の祝福の中に留まり、あなたの大切な方々もこの祝福の中に留まることができるように祈り求めて参りましょう。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、シオン、ユリ、リンドウ、ケイトウです。