「神への訴え」ヨブ記 30章16~31節 エレミヤ書 33章2~3節 金田ゆり牧師
ヨブのシリーズ三回目です。三人の友人達との論戦を繰り広げた末に、ヨブがしたことは、神に胸の内を訴えることでした。人生で起こる疑問に答えを得られない彼は、ひたすら自分の思いをぶつけ、訴えることでした。どんなことを彼は訴えたのでしょうか。
- ヨブの神への訴え 16~31節
・神のほうが間違っておられるという訴え16~19節、参照ヨブ28:23~28、29:1~5
神が私に苦しみを与え、離れないようにしておられる!苦しむ私を、泥の中に投げ込まれ、私はちりや灰のようになってしまった、とヨブは言います。自分は主を恐れて、悪から遠ざかって来たのに。これまで、神と親しい交わりを持ってきたのに、神様のほうが何か間違っておられるのでは?と訴えたのです。
・自分の正しさの訴え 24~26節
私は、苦しんでいる人を助けて、涙し、心を痛めて来たのに。いつだって正しく生き、正しく生きたいと思ってきた。私は善を、光を待ち望んでいるのに、悪と暗闇で返されるのですか。ヨブは、自分の正しさを訴えます。苦しみのあまり、神より自分のほうが正しい、こんなことが起こるのはおかしいと訴えたのです。
・神は答えてくれないという訴え 20~21節
ヨブのもう一つの訴えは、神は私に答えてくれないというものでした。こんなに訴えているのに、どうして答えて下さらないのですか。目にも留めてくださらない。あなたは、私にとって残酷な方に変わってしまいました!何という悲しみ、苦しみ。人生に絶望したヨブの、神への悲痛な訴えでした。
- 神に訴えることをやめなかったヨブ
ここで注目すべきことは、ヨブが神に訴えることを止めなかったということです。彼はすでに神が理解できず、見えなくなっているのに、なお神に訴え続けているのです。彼の訴えは、神の目には的外れな訴えでした。しかし、神とヨブ、人格と人格、真正面からぶつかる姿勢には学びたいものです。絶望してなお、彼は神に訴えることはやめなかったのです。
- 訴えを静かに聞かれる神 エレミヤ書33:2~3
神は静かにヨブの訴えを聞き続けられます。的外れな訴えであっても、自分の全てをぶつけて来た彼を受け止められます。こののち、神は、神ご自身をもって本気の答えをヨブにぶつけられることになるのです。神はあなたの訴えを聞かれます。的外れであろうと、あなたが心注いで訴えることを、神は喜んで聞かれ、本気のお答えをあなたに与えてくださるのです。