2022年12月4日 第二アドベント礼拝メッセージ

「主を待ち望もう」イザヤ書 40章27~31節 金田洋介牧師

 

イザヤの時代、南ユダが置かれていた状況は本当に困難な状況下にありました。国内外の問題のみならず、イザヤを通して告げられた彼らの未来は、国の滅亡とバビロンによる支配という絶望的な状況でした。神様はイザヤにイスラエルの民に慰めを告げるよう命じ(1節)、憐み深い神様の言葉を伝えます。ところが、「私の訴えは私の神に見過ごされている(28節)」と民は嘆いています。神様の愛と憐みを見失った民の哀れな姿です。イザヤは、『【主】を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように、翼を広げて上ることができる。(31節)』と、神様の御言葉の約束をもって民を励まします。「待ち望む」とは、「実現することを期待して待つ」という意味。ですから、「【主】を待ち望む」とは、「神様の御言葉の約束を信じ続ける」ことであり、「常に真実であられる神様を信じ、神様のご計画に信頼して、その過程も結末も全てお任せする」ということです。結果的に、イスラエルの民は国の滅亡と捕囚という痛みを通ります。しかし、それで終わりではありませんでした。神様が定められた約束の年月を経て、民は捕囚から解放され、帰還の時を迎えます。神様の言葉は実現したのです!彼らは【主】なる神様と共に国の再建へと進んで行きます。ところが、その後も何度も神様に逆らい、神様から見捨てられてもおかしくない程に罪を犯し、罪の闇に支配され続けます。しかし、罪の支配から解放され、罪の縛りが断ち切られる日がやって来ました。イスラエルが犯した罪、人間が犯した罪、そして現代を生きる私たちが犯した罪がもたらす、永遠の死と滅びから救われる日がやって来たのです。それがクリスマス。救い主イエス様が私たちのために生まれてくださったのです!待ちに待った救い主が誕生された。だからこそ、2000年経った今も、世界中でイエス様の誕生を祝うのです。

イエス様は私たちの罪の身代わりとして十字架にかかり死なれましたが、三日目によみがえり、天にのぼられました。しかし、それで終わりではなく、再び、世界が終わりを迎える時、イエス様は再び地上に来られます。イエス様の誕生と昇天から2000年が経った今、私たちもまた、イエス様を待ち望む者として、今を生きているのです。では、私たちはどのように主を待ち望むべきでしょうか。私たちは、自分の人生の全てで主を待ち望む者でありたいのです。神様の全能を信じ信頼して、愛と哀れにみに富んでおられる神様に飛び込む者でありたいのです。神様はご自身を信じて待ち望む者に、余すところなく御力を現して下さいます。その御力で私たちの信仰を日々強めて下さいます。その神体験の積み重ねが、私たちキリスト者の新しい力、つまり、神様を信じる信仰と神様への信頼が以前よりも増していき、私たちのクリスチャン人生を揺るぎないものとする力となって現れるのです。

熊本真愛教会では、毎週講壇にお花が活けられています。
今週のお花は、モンステラ、バラ、カーネーション、スターチス、スカシユリです。