「癒された十人の病人」ルカ 17:11-19
イエス様がある村に入られると、十人のツァラアト患者(重い皮膚病人)に出会われまし た。十人は負っている病のために、イエス様に近付くことができません(レビ 13:45- 週報 46)。彼らは遠く離れたところから「イエス様、…わたしたちをあわれんでください」と叫びました。きっと「この機会を逃してなるものか」と、必死に呼び求めたと思われます。彼らの叫びにイエス様はどう答えられたのでしょうか。
14 節。驚いたことに、イエス様は「祭司たちに体を見せなさい」と言われただけでした。イエス様がこう言われたのは、ツァラアトが治癒したかどうか(きよめられたのか)を見 極める役割を祭司が担っていたからでした。律法に則って様々な過程を経、最終的に祭司に「きよい」と宣言された時、ツァラアト患者は元の生活に戻ることができました(レビ 14:1)。ところが、この時点で彼らの病気は治っていません。しかし、十人はイエス様の言 葉に従い、行動に起こします。すると、祭司の許に行く途中で彼らのツァラアトは癒された のです。そして、癒された十人の内の一人が、大声で神様をほめたたえながらイエス様のも とに帰り、ひれ伏して感謝しました。彼はサマリア人でした。
この十人の病人には、イエス様の言葉を信じて行動を起こすことができる信仰がありました。進行による行動の結果、彼らは皆癒されたのです。神様の御言葉を信じて行動した先に、神様の御業は起こるのです。私たちも今、祈っている途中であり、御言葉に取り組んでいる途中にあります。どれくらいの時間を経て神様の御業を体験できるかわかりません。時に、疲れて立ちどまってしまっても、止めてしまったとしても、あなたが神様を信じて行動に起こした瞬間から、神様の御業はすでに始まっているのです。そして、ふと気付くのです。すでに祈りが応えられていることに。御言葉の実が結んでいることに。信じて起こした行動が決して無駄でないことを、私たちはこの長い信仰生涯の中で知るのです。
信じ、起こした行動に神様は報いて下さいますが、その時、私たちに求められている応答があります。それは、感謝です。帰って来たサマリア人以外の九人も癒されましたが、神様への感謝を忘れてしまい(怠ったとも解釈できます)、ただサマリア人だけが、イエス様のもとにひれ伏して感謝したのです。サマリア人を嫌っていたユダヤ人はイエス様の言葉をどのような思いで聞いていたでしょうか。…私たちは、神様の御業を体験する事だけで終わってはいけません。全ての栄光を神様に帰し、心から感謝しなければならないのです。
そして、感謝と喜びの賛美を携えて神様の御前に出で、神様を礼拝する者でありたいのです。私たち一人一人を心から愛しておられる神様は、日々、私たちの叫びを聞いておられるだけで なく、最善に応答して下さるお方です。信じて祈り求め、信じて御言葉に従い、感謝と賛美 をもって神様の御前に出る。そんな一週間の歩みとなりますように祈ります。