2023年4月16日 主日礼拝メッセージ

「主よ共に宿りませ~エマオへの道で~」 ルカの福音書 24:13-32 金田牧師

二人の弟子がエマオへの途上で復活されたイエスと出会いました。イエスとのやりとりと、彼らの変化に注目しましょう。

イエス様に打ち明けた弟子たち 13~24節

イエス様は彼らが道すがら論じ合っていた事についてクレオパらに尋ねました。これは顔を曇らせていた二人の心の奥底に触れるためです。二人の間にイエス様が加わったことで交わりが生まれ、二人は自分たち気持ちも交え、夢中になってイエス様に語り出します(19- 24)。イエス様は、人生の途上にあるあなたにも近寄り、あなたの心の奥底にある思いを聴いて下さるお方です。イエス様はあなたに語り掛けておられます。「わたしに話してごらん」と。あなたの心の内を祈りを通してイエス様に聴いていただきましょう。

イエス様の御言葉を聴く弟子たち 25~27 節

彼らの話を静かに聴かれたイエス様は、ご自身について聖書に書いてあることを彼らに説き明かされました。この時、弟子たちは共におられる方がイエス様であることが分かりませんでしたが、御言葉を聴くことによって彼らの心は燃やされていったのです(32 節)。これはとても大切なポイントです。イエス様に聴いていただいたら、今度は私たちがイエス様の御言葉を聴くのです。暗い話題ばかり聞こえてくる今こそ、主の御前に静まり、御言葉を慕い求めるのです。御言葉にはあなたの魂を救う力があるのですから!

イエス様の側にとどまる弟子たち 28~32 節

説教後の応答の賛美である、新聖歌 336「日暮れてやみはせまり」は、このエマオ途上の出来事を想起させます。歌詞の「主よ、共に宿りませ」は、心燃やされた弟子たちが必死にイエス様を引き留めた言葉です。この後、彼らはイエス様と共に食卓に着き、イエス様からパンを受け取った瞬間に目が開かれ、自分たちと共にいた人物が復活されたイエス様である ことが分かります。イエス様との交わり、イエス様の御言葉に心を開くなら、彼らのように 心燃やされ、「主よ共に宿りませ」とイエス様から離れたくないと願う者に変えられ、さらに、イエス様ご自身を明確に捉えることができるのです。
「主よ、共にやどりませ」とは、「今だけ一緒にいて」という意味ではなく、「ずっと一緒に住む」という意味です。エマオの途上にあった弟子たちに寄り添われたイエスは、あなたの人生にも寄り添って下さるお方です。「主よ、共にやどりませ。ずっと私と共にいて下さい」とイエス様に心から求めようではありませんか。まず、あなたの心の奥底にある声をイエスに聴いていただくところから始めてみましょう。

今日のお花は、アルストロメリア、カキツバタ、テッポウユリ、カーネーションです。