「あなたがたは生ける神のこども」
ホセア書1章1節~11節 金田洋介牧師
預言者イザヤと同じ時代、ホセアは北イスラエルの預言者として遣わされましたが、彼は他の預言者たちとは変わった形で用いられます。まず、神様がホセアに命じたのは、姦淫の女性を妻に迎えると言う命令でした(2節)。これは、ホセアが夫婦関係を通して、北イスラエルに対する神様の愛と憐れみを悟り、伝えて行くため、神様がご計画されたのです。
ホセアは神様の命令に従い、ゴメルを妻として迎えます。その後、ゴメルは3人の子ども を出産します。第一子は「彼に」という言葉がありますが、第二子、第三子について「彼に」と言及されていません。二人はホセアの実子ではなく、ゴメルが姦淫によって授かった子どもであったようです(6-7 節)。このことがわざわざ記されていることには理由があります。それは、ゴメルがホセアに対して姦淫の罪を犯したように、北イスラエルが神様に対して霊的な姦淫である、偶像礼拝の罪を犯していることが、二重写しで表されているのです。きっとホセアは、神様を裏切って偶像礼拝に走って行く民の姿を見ている神様のお心の痛みを、自分自身の痛みのように感じ取っていたことでしょう。また、神様が命名された第二子、第三子の子どもたちの名前(ロ・ルハマ:愛さない、ロ・アンミ:民ではない)をとおして、北イスラエルの罪を断罪するという神様の強い決意を悟ったと思います。このように、神様はホセアの夫婦関係、家庭環境を通して、北イスラエルに対するご自身の御思いを明らかにされたのです。
ところが、北イスラエルを「わたしは憐れまない、わたしの民ではない」と言われた神様でしたが、一転して「生ける神の子である」と宣言されます(10 節)。これは、北イスラエルのみならず、後に裁かれ滅んでいく南ユダをも含みます。度重なる背信と裏切りの民に対し「もう愛さない、わたしの民ではない」と言われた神様は、「それでも愛そう。それでもあなたはわたしの民だ」と宣言して下さる、憐れみ深い神様なのです。
あなたの目に、神様というお方はどのように映っているでしょうか。また、神様の目にあなたはどのように映っているでしょうか。たとえ、あなたがイスラエルの民のように、神様の愛や戒めを知りながら、反抗して生きていたとしても、神様の前に言い訳ばかりで、言葉と実際の行動が伴わないような毎日を過ごしていたとしても、神様はあなたを「生ける神の子」と呼んで下さるのです。そればかりか、生ける神様の子どもに相応しく、神様はあなたを整えて下さるのです。そして最後に、私たちはホセアのように、大切な人の為にとりなし祈ることができます。私たちは、私たちの大切な人を神様がどれ程愛しておられるかを知っています。私たちは、私たちの大切な人が罪を犯していることを神様がどれ程悲しみ、心を痛めておられるかを知っています。あなたの大切な人たちが、神様の愛を知り、罪を悔い改めて、神様の子どもとされるようにとりなし祈ろうではありませんか。