「どこまでも愛し通される神」 ホセア 2:2~23 金田洋介牧師
本日の 2 章においても、偶像礼拝に囚われている北イスラエルの姿が、ホセアの妻ゴメルの行動に重ねられて語られています。ホセアは実体験を通して神様の悲しみと嘆きを知り、神様の御言葉を伝えました。
裁きの宣告 2~5 節
バアルの神は農耕の神として崇められていました。バアル崇拝者は皆、バアルの神によって雨が降り、地が潤され、豊かな収穫が得られると信じていたのです。北イスラエルの民はバアル崇拝にのめり込み、偶像礼拝の罪に囚われてしまいます。まるで、夫ホセアを捨てて 愛人を追って出て行ったゴメルのように、北イスラエルの民も拝すべき真の神様を捨て、偽りの神を追い求めたのです。神様はこの罪を裁かれると宣告しました。
裁きからの回復 6~15節
夫の許を去ったゴメルでしたが、神様は尽く道を閉ざされ、あらゆる楽しみを取り上げると宣言されました。これは、真の神様を捨ててバアルを慕い求めただけでなく、神様の恵みをバアルからの恩恵であると盲信していた北イスラエルに対する宣言でもありました。しかし、その宣言の背後には、愚かな民を悔い改めに導きたいという神様の深い愛が込められていたのです。神様は、神様との関係を自ら放棄した民に憐れみの御手を伸ばし、災いから望みの道へと導くとの約束を与えられ、どこまでも民を愛し通す決意を表されたのです。
16 節以降には、神様と北イスラエルとの関係に、完全な回復される日が来ることを預言しています。イスラエルはバアルを呼ぶことをやめ(16 節)、神様を真の夫として永遠の契りを結び(18~20 節)、祝福の実を結ぶこと。そして、「憐れまない、愛さない、わたしの民でない」との宣言が撤回され、神様の憐みを受ける者、神様の民と呼ばれ者となり、民もまた 「神様こそ私の神様です」と告白するようになると告げられました(23 節)。
ホセア書 2 章は、主の憐れみと赦しがどれほど深いものであるかを記しています。ゴメルの姿に重ねられている北イスラエルの姿は、私たちの姿でもあります。どこまでいっても自己中心な私たち。神様がどれ程、私たちに心を配り、私たちの幸せを願っておられるかなど 全く気にも留めません。しかし、神様のお姿(言葉)に心を留めたいのです。神様は北イスラ エル(ゴメル)を荒野に招き(一対一の意)、優しく語り掛け、関係の回復と祝福を宣言されました。私たちが今あるのは、私たちの理解を遥かに超えた、この神様の愛と憐れみによるのです。神様の愛と憐みは、イエス様の十字架の死と復活によって私たちにもたらされましたが、ホセア書の学びを機に、再度、神様の憐れみと愛の深さを思い巡らせたいのです。
あなたは、神様の愛にどのように応えますか?思い巡らしましょう。そして、心に決心した(神様の愛に対する)あなたの応答を行動に起こし、この一週間を過ごして参りましょう。