2023年7月2日 主日礼拝メッセージ

「主の日に備えて-神の招き-」ヨエル書 1:1-3、2:1-17  金田洋介牧師

ヨエルの第一声

「長老たちよ、これを聞け。この地に住む者もみな、耳を傾けよ。このようなことが、あなたがたの時代に、また先祖の時代にあっただろうか。」ただならぬ危機を感じる呼びかけです(2節)。「このようなことが…」とは、4節に四種類のいなごによる災害(蝗害)が起こり、作物が尽く食い尽くされたのです。その被害の大きさは、5節以降に記されている、嘆きと悲しみの様子からも分かります。6 節で「いなご」が「ある国民」にたとえられています。これは、いなごが大量に襲ってきたように外国から大軍が押し寄せ、攻撃を仕掛けて来るという預言でもあるのです。未来に起こる出来事と、それによって受ける苦痛や被害が 「いなご」による苦痛と被害に重ねられているのです。

主の日に備えて、主を呼び求めよ

ヨエルは民に向かって訴えます。「【主】に向かって叫び求めよ」と(14 節)。彼は単なる災害として捉えるのではなく、神様の御手の中にあることを示したのです。待ち受けている困難は、民自身の不従順が招いた苦しみです。だからこそ、神様の前に集まって悔い改めるよう呼びかけたのでした。私たちの自身も、周囲も、日々色々なことが起こります。納得いかないことや理解できないことが起こると、すぐに落ち込み、呟き、不満を露わにします。しかし、一時の感情に流されず、全ては神様の御手の中にあることを覚え、神様に心を向けるのです。神様の御言葉を思い巡らし、神様と共に状況を振り返りつつ祈るのです。きっと、 隠れていた自分の罪や神様の御心に気付かされることを体験します。そのような積み重ねの日々が、私たちの信仰を養い、神様というお方を知る恵みの機会となるばかりか、来るべき主の日(世の終わりの日、裁きの日)のための備えとなっていくのです。

主の日に備えて、主に立ち返れ

2章は、主の日が間近に迫っていることの警告から始まり、その悲惨さがより一層強調されています。ヨエルは民に強く迫ります。「主に立ち返れ」と(13 節)。これは神様の切なる招きでもあります。「主の日」とは、世界の終わり(神様の裁きの日)という大いなる日を指しますが、ヨエル書を通して見えてきたように、彼らが経験した蝗害や他国からの侵略といった災害や困難、また、私たちの人生や日常生活の中に起こってくる様々のことも「主の日」 と呼べると思います。なぜなら、全て神様のご計画、神様の御手の中で起こっているからであり、神様がなさる事々を通して、私たちは神様を意識するからです(畏れること、遜ること、従うこと様々)。ですから、生活の中に起こる些細な事から大きな試練や苦しい困難も全て、やがて来る「主の日」のための備えであることを覚えて、日々を過ごしましょう。そして、神様に全身全霊を向けて歩んで行けるよう、今、神様に祈り求めましょう。

 

    今日のお花は、ひまわり、モンステラ、ユリ、トルコキキョウです。