「わたしが示す地へ行きなさい」創世記12:1-9 金田ゆり牧師
イスラエルの祖、アブラム。古代メソポタミア文明の重要都市、カルデアのウルに生まれ、何不自由なく生きていた彼に、栄光の主が現れ「わたしが示す地へ行きなさい」と御声をかけられました。
1. 罪から離れて、わたしが示す地へ行きなさい。
アブラムの父テラは、偶像の神々に仕える人でした。アブラムはそのテラを連れて、ウルから旅立ったのです。しかし、その旅は途中で止まってしまいます(11 章 27~32 節)。そこで神は、12 章で再びアブラムに御声をかけられるのです。偶像に満ちた場所から、罪から離れて、わたしが示す地へ行きなさい、と。罪との決別です。アブラムはこののちの人生で、多くの罪と失敗を犯しますが、その度に神の取り扱いを受け、信仰の父と呼ばれるまでに成長しました。罪との決別とは、人生で神による罪の取り扱いを受ける決断とも言えるでしょう。あなたがその決断をしたなら、きっと見たことのない景色を、神はあなたに見せて下さることでしょう。
2. 行き先がわからなくても、最善をなさる主に信頼して導きに従う
アブラハム、行き先がわからず出て行きました。これから先の人生を神の御手に委ねたのです。自分がどうなるのか先が見えない時、私たちがすべきことは神の御言葉に従うこと。そして、最善をなさる神を信じ信頼すること。シンプルですが、まずすべきことです。世の知恵や情報より、まず先に大切にすべきことです。また、どこが神の示される地なのか?私たちは祈りながら取捨選択する人生でしょう。アブラムは行く先々で神を礼拝しました。導きを求める時は、行きつくところで神を礼拝できる選択をしましょう。神を礼拝し、教会での交わりや祈りが途絶えぬようにすることに最善を尽くしましょう。罪から離れても、神から離れる選択をしてはなりません。「わたしが示す地へ行きなさい」と神はあなたに言われます。
3. 示される地の先にあるもの
神のみ言葉に従い、示された地に行った先には、何があったのでしょうか。もう一度 1~3 節まで読みましょう。神が「わたしが示す地へ行きなさい」と言われたのは、アブラムを祝福したいからでした。「あなたは祝福となりなさい」は原文に忠実な訳です。あなたが祝福となる、それはわたしの命令だとおっしゃるのです。そして、あなただけでなく、あなたの周囲の人、すべての人をあなたを通して祝福したいのだと。神はいつだって、ご自分の利益などこれっぽっちも考えておられない。あなたと、あなたを祝福し、あなたの周囲の人々 にイエスの救いと、ご自身を知らせて祝福したい。その一心で、「わたしが示す地へ行きなさい」と言われます。ガラテヤ3章14、29節も見ましょう。イエスを信じる者は、アブラハムの子孫と神が認めて下さり、彼が受けた祝福を相続するのです。その祝福を放棄してはなりません。神はあなたに今も、「わたしが示す地へ行きなさい」と言われているのです。