2023年8月27日 主日礼拝メッセージ

「あなたも行って、同じようにしなさい」ルカの福音書 10:25-37   金田ゆり牧師

一人の律法学者が、イエスを試すために「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」とイエスに尋ねます。当時の神学的問いでもあり、彼自身、自分に何らかの不足を感じており、この難問をもってイエスを試したのです。

1 . 自分は正しいと思っている律法学者 25~29 節

イエスはこの問いに対して、あなたはどう読んでいるかと逆に律法学者に質問されます。 すると彼は、「心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と答えます。以前イエスが、神ご自身の権威をもって律法をこの二つに要約されましたが、彼はそれをよく聞き学んでいました。イエスは「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい」と言われますが、彼は「それを実行しなさい」が引っかかりました。自分は神を愛し、隣人を愛してきた。自分は正しい。それを示そうと「では、私の隣人とは誰ですか」とイエスに投げかけました。

2 .イエスの例え話 30~35 節

イエスは、エルサレムからエリコに下る途中に強盗に襲われてしまった、あるユダヤ人の例え話をされました。そのユダヤ人は、無一文になり半殺しにされて道に倒れていました。祭司、そしてレビ人が通りましたが、見て見ぬふりをして通り過ぎていきました。しかし、ユダヤ人の敵であるサマリヤ人がそこを通った時、彼は倒れている人を見てかわいそうに思い、傷の手当てをし、宿屋に連れて行き、宿賃と治療代まで払い、不足があれば帰りに払うとまで言ったのでした。このサマリヤ人は、相手がユダヤ人であっても、自分ができうるすべてのことをしたのです。

3 .あなたも行って、同じようにしなさい 36~37 節

この例え話から、三つのことが教えられます。一つ目は、見て見ぬふりという罪があることです。正しいすべきことがわかっていながら、それをしない罪です。祭司やレビ人は、ただ通り過ぎただけで何もしてはいませんが、見て見ぬふりはしたのです。二つ目は、隣人の範囲に限度はない、ということです。愛の対象に範囲や限度はないのです。たとえ敵と思える人であっても、助けを求めているならなおさら、あなたの隣人なのです。三つ目は、隣人というのは、自分からなるものなのだ、ということです。聖書が言う隣人とは、範囲を制限せず、自分から行って隣人になる、ということなのです。…この律法学者は、自分の正しさを示すつもりでしたが、神様が求めておられるものには程遠いとわかり、イエスに何も言い返せずに終わるのでした。…あの時、私はあの人にこうするべきだったと後悔することがあるかもしれません。しかし、神は必ず、あなたに再びチャンスを下さいます。神に愛されている者として、たとえ敵と思える人に対しても、このサマリヤ人のごとく誠実に。心からの愛を現すことができる、神の御前に幸いな人生を送ってほしい。神はあなたに、そう願っておられます。

今日のお花は、オリーブ、ケイトウ、ユリ、ライスシャワーです。