「あなたを生かす神の御言葉」 アモス書 8章 1-14 節 金田洋介牧師
8章にはアモスが見た第四の幻について記されています。
アモスが見た第四の幻~北イスラエルに迫る裁きの日~(8:1-3)
アモスは幻の中で、一かごの夏の果物を見ました。そのとき神様は「わたしの民イスラエルに終りが来た。」と言われました。つまり、イスラエルの終わりが、神様の裁きが迫っていることを示されたのです。2 節の後半では、7 章で「下げ振り」の幻の時の神様の言葉と同じように、「わたしはもう二度と彼らを見過ごさない」と語られ、3 節に「終わりの日(裁きの日)」の悲惨さが語られています。
北イスラエルに臨む裁きの理由~信仰の腐敗と良心の腐敗~(8:4-8)
次に、神様を畏れず、不正を平気で行い、貪欲で、無慈悲な者たちに向けて語られています。彼らは「新月の祭りと安息日が早く過ぎ去るように」と呟いていました(5 節前半)。その理由は、早く市場を開いて商売をして稼ぎたいからです。神様へのささげものを献げる大切な日(新月の祭り)や、神様が定められた安息日も、彼らにとって商売の妨げの何物でもなかったのです。さらに、彼らは穀物を売るために不正のはかりを用いて不正の利益を得、また、社会的に立場の弱い人たちを無慈悲に扱っていたのです。人の目は欺いても、神様の目を欺くことはできません。彼らは、彼らの罪のゆえに裁かれるのです。
終りの日(裁きの日)に起こる三つの現象
①地震が起こり(8節)、②暗闇が覆い(9~10 節)、③飢饉が起こる(11~12 節)とアモスは告げました。③の飢饉とは御言葉の飢饉のことです。神様の言葉を聞くことの飢饉で、これこそが深刻な苦難です。聖書は、御言葉がいかに大切であるかをあらゆるところで教えています。神様の御言葉は私たちの命そのものです。そのように大切な神様の御言葉、 命である神様の御言葉の飢饉に遭うというのです。神様の御言葉を軽んじた北イスラエルの最後は本当に悲惨です。彼らには、いくらでも御言葉を聴く機会があったのですが、最後まで聴く耳を持ちませんでした。そして、神様の裁きが臨みました。全てアモスが言った通り、神様が語られた通りでした。小預言書が一貫して語っているメッセージは、「主の日に備えなさい」と言うメッセージです。主の日に備える生き方とは、神様の御言葉を握って人生を歩むということ。いつも御言葉に触れる日々を歩むということです。今日、御言葉はあらゆる形で語られています。目で見、耳で聞き、触れて聞くことができます。どうか、御言葉に触れる機会を持ちましょ う。御言葉に心を留めましょう。御言葉を思い巡らしましょう。御言葉を行うことに積極的にチャレンジしましょう。御言葉には力があります。全ての時代に当てはまりますが、あえて言わせていただきます。今この時代こそ、神様の御言葉が必要です。あなたがこの時代を生き抜くための力の源、あなたの生かす源は、神の御言葉です。