「今日という日が過ぎ去る前に」詩篇 103 篇 1:1-5 節 金田洋介牧師
中心の御言葉である 103 篇 2 節で『わがたましいよ【主】をほめたたえよ。主が良くしてくださったことを何一つ忘れるな。 』は神様の恵みを忘れることなく心にとめるべきことを教えています。今年最後の礼拝をささげるにあたり、神様の恵みを覚えて心から感謝したいのです。まず、私たちが心にとめるべき恵みとは神様の御言葉です。
心にとめるべき神の恵みとは、神の御言葉
今日、私たちは礼拝や祈祷会といった集会以外にも、聖書やスマホのアプリ、ラジオやインターネットなどからも御言葉を聞くことができます。心にとめたいこと、感謝したいことはまさにそのこと。御言葉に触れること(聴く、見る、読む、学ぶ)ができたことを感謝したいのです。聴いているのか、聴いていないのか、はっきりしないような自分の周りにさえ、神様の御言葉が溢れ、常に供給されていたことを心にとめましょう。神様の御言葉は、私たちの信仰生活の指針であり、私たちが悩み苦しむ時に力を与え、慰めと励ましをもたらします。一年を振り返ってみる時、神様の御言葉の恵みや力を体験したことが一度や二度ではなかったはずです。改めて御言葉の恵みを思い起こそうではありませんか。
心にとめるべき神の恵みとは、御子イエスによる罪の赦しと永遠の命がもたらす平安
次に心にとめたい恵みは、イエス様を通して与えられた罪の赦しと永遠の命がもたらす平安です。イエス様を救い主と信じる全ての人は、この罪の赦しと永遠の命がもたらす平安に与ることができます。それは、私たちがいつ召されても、御国(天国)へとあげられるという確約が与えられているからです。これはイエス様が私たちの罪の身代わりに十字架にかかり、その尊い命を犠牲にしてくださったことによります。イエス様の命という尊い犠牲によってもたらされた平安は、この世がもたらすどんな安心にも勝る平安です。心にとめるべき神の恵みとは、神様を礼拝することができたこと最後に私たちが心にとめるべき恵みは、今日このように神様を礼拝できたという恵みです。私たちに御言葉を語り、罪の赦しと永遠の命の平安に満たして下さった神様を礼拝できたことを心から感謝したいのです。この一年を振り返ると色々なことが思い出されると思います。良かったこと、嬉しかったこと、困ったこと、悲しかったこと、辛かったことなど、色々とあったことでしょう。日常生活、人間関係において「もう駄目だ、もう限界」と何度も思うことがあったかもしれませんが、全ての背後におられた神様の介入と御手の守りによって今日があり、礼拝をささげていられるのです。
御言葉を与え、罪の赦しと永遠の命からくる平安を与えられた神様は、あなたの一生を良き物で満たして下さると、約束しておられます(詩篇 103 篇 5 節) 。今日は今年最後の日です。どうか、今日という日が過ぎ去る前に、神様の御前に心を静めてこの一年を振り返り、神様から与えられた恵みを一つ一つ数えて感謝しようではありませんか。